ピラミッド群沿いの「幻の水路」をついに発見、ナイル川支流の跡、ギザのピラミッドも
大きな水路が消滅へ
にもかかわらず、現在、アフラマト支流はほぼ完全に姿を消している。研究によると、川は紀元前2000年ごろに東へ移動し、徐々に浅くなり始めたという。これは、地質活動や西方砂漠から風で運ばれる砂による影響と考えられる。 紀元前2040年から1780年ごろのエジプト中王国期に建てられたピラミッドは、古王国期のものよりも東にあることがわかっている。これはおそらく、東に移動していたアフラマト支流に近づけるためだ。 ただしバンベリー氏は、ピラミッドの建設自体がアフラマト支流の消滅を早めた可能性もあると考えている。さらに、この川が埋まるプロセスは、もう少し早い紀元前2500年ごろに始まっていた可能性もあるという。 そのころ、サッカラとダハシュールという場所の間に造られたのが、「シェプセスカフ王のマスタバ墳」(完全なピラミッドではなく、屋根が平らな墓)だ。建設が急がれた理由は、アフラマト支流が縮小していたからかもしれない。「水路での輸送が難しくなってきたので、最低限の作業で済ませたのかもしれません」とバンベリー氏は言う。 ノルウェー、ベルゲン大学博物館の花粉学者ハデル・シェイシャ氏も、今回の研究には参加していないが、ギザの近くに水路があったことを示す古代の環境の証拠を調査したことがある。そこは、当時アフラマト支流があった場所かもしれない。 シェイシャ氏は、アフラマト支流の大きさや深さは、一部の既存の説を覆す可能性があると述べている。たとえば、ピラミッド建設の輸送に使われた水路は狭く浅かったため、いつも船で混雑していたという説もそうだ。しかしゴネイム氏は、アフラマト支流には、船が上りと下りの双方向に往来できるだけの広さがあったと考えている。 研究チームの次の目標は、埋もれている植物片や貝殻の放射性炭素年代測定を行い、アフラマト支流が使われていた年代を確定させることだ。また、ピラミッドに近い長さ60キロほどの範囲だけでなく、その南北の川の地図を作ることも計画している。 「今回明らかになったのは、支流のうちエジプト北部にあった部分だけです。中部と南部は、まだ調査できていません」とゴネイム氏は話す。「さらに調査を広げて、この支流がどこで始まっていたのかを突きとめたいと思っています。おそらく、スーダンとの国境近くではないかと考えています」
文=Tom Metcalfe/訳=鈴木和博