ピラミッド群沿いの「幻の水路」をついに発見、ナイル川支流の跡、ギザのピラミッドも
衛星画像を読み解く
エジプトで育ったゴネイム氏がはじめてアフラマト支流の痕跡に気づいたのは約2年前、可視光や目には見えない波長の光で撮影したマルチスペクトル衛星画像を見たときのことだった。さらに、衛星レーダーのデータから抽出したデジタル標高モデルを詳しく調べ、この一帯の地形の標高や異常な点を割り出した。 地形学者は、地形を変化させるプロセスの専門家だ。その経験を積んだゴネイム氏は、今や砂漠に覆われたり何世紀にもわたって農地化されたりしている、ずっと昔に失われた水路の痕跡を発見した。 このような衛星データが手に入るようになったのは、ごく最近のことだ。そのため、今回のように、かなりの長さにわたって消えた川が見つかるのも前例がないようだ。 「実際の水路だけでなく、幅や深さや長さ、そしてピラミッドとの近さも新しい発見です」とゴネイム氏は述べる。
荒れたナイルの時代
ナイル河谷での初期の文明の発展に関しては、エジプト研究者たちがおおまかな年代をまとめている。 この地域が砂漠からサバンナのような環境に変わったのは約1万2000年前。最後の氷河期の最終段階が過ぎ、世界中で海面が上昇した結果だ。 1万2000年前から5000年前ごろのナイル河谷は、水位の高い沼のような環境が多く、人が住みにくい場所だった。今回の研究には関与していないが、英ケンブリッジ大学の地質考古学者であるジュディス・バンベリー氏によると、これは「荒れたナイル」と呼ばれる時代だという。 人がナイル河谷に住み始めたのは、その後の時代だ。目的は魚だったかもしれないと氏は言う。そして紀元前2700年ごろには、いくつかのナイル川の支流は十分「穏やか」になっており、エジプト古王国の基礎を担うようになっていた。ただしこのころも、大規模な洪水は頻繁に起こっていた。
ピラミッド建設の水上輸送
ゴネイム氏は、紀元前2200年ごろまで続いた古王国期の間、アフラマト支流は重要な水路だったに違いないと考えている。つまり、この川の流路がわかれば、重要な文化遺跡の調査や保護に役立てることができる。 重要な点は、当時建設された多くのピラミッドの資材を、この支流を使って船で運べただろうということだ。「古代エジプト人には、非常に重い建築資材や作業員をピラミッド建設現場まで運ぶ水路が必要でした。そこで、この支流を幹線道路のように使ったのです」とゴネイム氏は話す。 アフラマト支流とピラミッドが数百メートルしか離れていない場所もあった。多くのピラミッドは、港のような役割を果たした可能性がある河岸の神殿と歩道でつながっていた。 いくつかの地点で土壌のサンプルを集め、数カ月に及ぶ地球物理学的な調査を行った結果、アフラマト支流ははるかに想像を超える大きさだったことがわかり、研究者たちを驚かせた。 川幅は一般的な場所で400メートル以上あり、ギザに近い北端部ではさらに広がって入り江ができていたようだ。 「これは大きな支流で、幅は現在のナイル川と同じくらいでした。ピラミッドに近いことから、古代エジプトで非常に重要な役割を持つ水路だったと考えられます」