「それでも人生は続く」 放射能から逃れ友と引き裂かれた少女…福島と能登への思い #知り続ける #ydocs
ふるさと小高の変化…「心は繋がっている」
ゴーストタウンと化していた南相馬市小高区の避難指示は、原発事故から5年4カ月が経過した2016年7月に解除された。住民の帰還は徐々に進み、新たに県外から転居してくる若い世代もいる。 避難指示が解除されて以降、絵理奈さんは毎年お盆の時期に小高に帰り、墓参りや自宅の掃除などを手伝っている。コロナ禍の3年間は行けなかったが、昨年夏に久しぶりに小高に帰ると、変化を感じた。 「新しいお店ができていたり、以前あったお店が再開していたり、少し人が増えて賑やかになったように感じました。私の記憶の中にある小高ではないけれど、新しい小高ができつつあるようでした。そこで頑張っている人たちが頼もしくて、ありがたくて…。『小高がなくならなくて本当によかった』と思いました。 私は、町を流れる小高川や相馬野馬追(そうまのまおい)の舞台の小高神社とか、『ザ・小高』な風景を見るだけですごく安心するんです。幼少期からお世話になっているお寺のご夫婦が暖かく迎えてくれて一緒にお茶を立てたりして、『ああ、やっぱり故郷はいいな』と心からホッとする時間を過ごすことができました。 小高に住むことに決めた人、離れることにした人、いろんな事情で小高に住む選択肢しかなかった人もいます。どれも考え抜いた末に決めたことだと思うし、どれが正解でどれが間違いとかではないと思っています。震災前の小高を知る人たちが、どの選択をしたかで責めたり責められたりすることのないように願っています」 親友・萌祐さんは現在、関西で消防士として活躍している。 会う機会は少ないが、誕生日には必ず「おめでとう」のメッセージを送り合い、簡単な近況報告をする。長く連絡を取っていなくても、不思議と気まずくなることはない。 毎年10月には二本松に帰り、「ちょうちん祭り」で中学時代の友人たちと会うのが恒例だ。9カ月間しかいなかったのに、まるで一緒に卒業したかのように感じる。絵理奈さんにとって小高と並ぶもう一つの故郷だ。 「子どもの頃、福島はとてつもなく遠くて、一度離れてしまったらもう戻れないと感じていました。でも大人になって、新幹線や車で意外と簡単に帰れることが分かってくると、普段は離れていても心は繋がっているんだと思えるようになりました」