<高校野球>「夢舞台で勝つ」 九州の4校早くも闘志 1試合の価値かみしめ練習に熱
新型コロナウイルスの影響で中止になった第92回選抜高校野球大会出場校の選手らのための「2020年甲子園高校野球交流試合(仮称)」の開催が10日決まった。センバツ代表だった九州の4校では選手らが喜びをかみしめ「甲子園で勝つぞ」と早くも闘志をたぎらせた。 【写真特集】センバツ32校が8月に交流戦 ◇明豊「びっくり、うれしい」 「まさか、甲子園のマウンドで投げられるなんて。びっくりしたし、うれしいし、本当にそんなことがあるんだ」。昨春のセンバツで4強入りした明豊(大分)。若杉晟汰主将(3年)は思いがけない吉報に、戸惑いながらも喜びの表情を浮かべた。 センバツに続いて夏の甲子園大会も中止になり、チームは目標を失いかけていた。しかし、交流試合の開催を伝えられた選手らは晴れやかな表情でこの日の練習に打ち込んだ。 「甲子園を目指してきた選手たちは、これまでずっと動揺していた。こういう形で開催できて本当に良かった」と赤峰淳部長(37)も胸をなで下ろした。「たとえ1試合だとしても、全員で全力で勝ち抜きたい」。若杉主将は力を込めた。 ◇大分商「信じて現実に」 23年ぶりのセンバツが幻になっていた大分商。グラウンドに集まった選手を前に、川瀬堅斗主将(3年)は「1%でも可能性があるなら最後まで信じようと言ってきたけれど、現実になった。甲子園で1勝をあげよう」と決意を伝えた。 右の本格派投手として期待される川瀬主将は「ずっと甲子園で150キロを投げたいと思っていた。センバツ中止が決まって悔しかったが、少しの可能性を信じてきてよかったです」と笑みを浮かべた。 渡辺正雄監督(47)は「この3カ月、本当は苦しくて選手にどんな顔を見せればいいか悩みながら過ごしてきた。それが8月まで一緒に野球ができる。うれしい」と涙ぐんだ。 ◇創成館「もう一度、夢のチャンス」 創成館(長崎)では稙田(わさだ)龍生監督(56)が練習前に部員を集めて「夏の甲子園が中止になり、全国何万人もの球児が届かなかった夢舞台だ。何試合分もの価値がある1試合にしてほしい」と呼びかけた。 「目標の場所でプレーできる。1勝できるよう盛り上がっていこう」。上原祐士主将(3年)が語りかけると、選手らは喜びを隠しきれない様子で「よっしゃあ」と声を張り上げ、ランニングに繰り出した。 3月、センバツ中止の知らせに泣き崩れた松田一斗選手(3年)は満面の笑みで「(代替の)県大会の開催が決まっても心残りは消えなかった。もう一度夢を追いかけるチャンスをもらった。甲子園では、どんな強豪と当たっても負けない」と決意を新たにした。 ◇鹿児島城西「うれしいサプライズ」 鹿児島城西では、秋武達朗校長から選手らに交流試合の開催が伝えられた。選手は一瞬、何が起きたか分からない様子だったが、佐々木誠監督(54)が「よかったな!」とにこやかに声をかけると、古市龍輝主将(3年)が緊張気味に「夢の舞台で頑張ります」と応えた。 センバツも夏の甲子園も中止になり「悔しくて苦しかったが、主将が腐ったらチームの仲間も腐る。主将として前向きに頑張ってきた」と古市主将。「想像もしていなかった、うれしいサプライズです。世の中が大変な中、野球をさせてもらっている。つらい状況の人たちを力づけるプレーをしたい」と力を込めた。 二枚看板の八方悠介投手と前野将輝投手(いずれも3年)も「頭が真っ白になるくらいうれしい」と口をそろえた。八方投手は「勝ちにこだわって投げたい」。前野投手も「八方とどの高校にも負けない投球を見せたい」と意気込んだ。 ◇元球児「選手にとってこれ以上ない喜び」 戦前、小倉工業学校(現在の福岡県立小倉工業高)で甲子園に春夏計5回出場し、大阪タイガース(現阪神)でプレーした玉井栄さん(故人)の次男で、自身も1964年夏、小倉工の三塁手として甲子園に出た義明さん(72)=同県糸島市=は「選手にとってこれ以上の喜びはないでしょう」と喜んだ。甲子園では初戦、広陵(広島)にサヨナラで敗れたが「あの時の負けた悔しさが『もう同じ悔しさは味わいたくない』という思いにつながった。その後の野球人生や社会人として生きる糧になった」。32校の選手が大舞台で一生の宝を手にすることを願う。【河慧琳、辻本知大、中山敦貴、白川徹、下原知広】