阿川佐和子「サバイバルジャーニー」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。駅構内が人で溢れ窓口に向かって長い列を作る。何度となくテレビで見た光景、その当事者に阿川さんご自身になるとは思わなかったそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2024年11月号に掲載されたものです * * * * * * * 岡山駅の窓口に向かって長い列ができている。私はその最後尾についた。駅構内は人で溢れていた。一見、落ち着いた様子ではあるが、内心はみんな不安と動揺でいっぱいにちがいない。事実、私もそうだった。 こういう駅の光景を、今まで何度となくテレビの画面で見たことはある。まさか私がその当事者になろうとは思ってもいなかった。 「すごい人だかりだねえ」「……ねえ」 私は同行者であるS子さんと言葉を交わしながらあたりを見渡す。 私とS子さんはつい一時間ほど前、広島駅から東京へ向かう新幹線に乗り込んだ。その日、私はS子さんの旦那様に頼まれて広島での講演を済ませ、帰路についたところだった。 強力な台風10号が日本に接近している。講演会を決行するべきか、中止にするか。事前にやりとりした末、台風の動きが遅いおかげでどうやら広島の天候はさほど荒れることはなさそうだという見通しがついた。 やや不安に思いつつもその日の早朝、私は東京の自宅を出て新幹線で広島へ向かう。途中、徐行運転になることもなく、予定通り広島に到着。雨模様ではあったが、お客さんもたくさん集まってくださり、講演は無事終了した。 本来ならば主催者の皆様ともども懇親会や写真撮影をして会場を去るつもりだったが、「そんなことせんで、さっさと帰ったほうがええて」と背中を押され、挨拶もそこそこに会場を辞した。
「無事、新幹線に乗れました。お世話になりました。これでなんとか東京に帰れそうです」 座席につくなり私とS子さんは旦那様や関係者にメールを送る。 S子さんご夫妻とは三十年来の仲である。もともと広島出身のお二人だが、自宅は東京にあった。まだ仕事があるという旦那様を広島に残し、夫人と二人で東京へ帰ることになった。私としても心強い。 「何が起こるかわからないから、非常用の水とお茶とカップ焼酎とつまみを持ってきたよ。あと晩ご飯に宮島名物の穴子弁当も」 学生時代、運動部のマネジャーをしていたというS子さんが重い保冷袋を掲げて笑った。 「これだけあれば、車内に閉じ込められてもしばらくは生きていけるね」 冗談を言い合って、座席をリクライニングさせ、さっそく焼酎で乾杯。 「無事に講演会できて、カンパーイ!」 いい感じに酔っ払った頃、気がつくと、列車が止まっていた。窓の外に目をやると、稲穂とレンコン畑が広がるのどかな田園風景。風雨はさほど強くない。 「ま、いずれ動くでしょう」 楽観的に捉え、つまみと焼酎を交互に口に運びながら再び会話に興じる。 「ほら、動き出した」 安堵して二人宴会を続けるうち、岡山駅に入線した。乗降客の入れ替えが終わっても発車する気配がない。でも私たちは相変わらず心配していない。会話は尽きないのだ。