支局に届いた署名入りの手紙 生涯にわたり「人権外交」追求 カーター元米大統領を悼む
カーター元大統領が就任したころの米国は、停滞と混乱の中にあった。ウォーターゲート事件による政治不信、ベトナム戦争の集結を告げたサイゴン陥落の余波…。カーター氏は、ワシントンとは無縁の清潔な政治家として期待されて登場した。それもやがて、「決断力を欠いた弱い指導者」という評価へと変わり、1期だけで終わったが、民主主義の基本的な価値、とりわけ人権を米外交の基盤に据えた初の大統領であり、生涯にわたり融和を追求し続けた政治家であった。 1999年の暮れも押し迫ったある日、当時ニューヨーク支局長だった筆者の元に、カーター氏から署名入りの手紙が届いた。 この年の12月31日をもって、パナマ運河の管理・運営権が米国からパナマに返還されるのにあたり、22年余り前に大統領として返還を決意し、パナマの最高指導者、トリホス国家保安隊司令官(当時)との間で、新パナマ運河条約に署名した当時の回想や、返還の意義などがつづられていた。 「運河の返還は、人生において最も困難な政治的課題だった。上院で条約の承認に必要な3分の2の賛成を確保することは、大統領選で当選するより難しく、奇跡に近いと思われた」 それは「『運河は米国が築いたものであり、今後も維持し手放すことはしない』と、多くの米国民に不評を買った返還条約だった」からだ。反対の急先鋒(せんぽう)の1人が、後にカーター氏を破り大統領に就任する共和党のレーガン氏である。 そこでカーター氏が頼みとしたのが「レーガン氏より人気がある俳優のジョン・ウェイン氏」である。「幸いなことに、彼が条約への賛意を強力に打ち出してくれた。私はこうしたあらゆるものを利用する必要があった」と述懐した。 なぜ、返還を決意したのか。手紙には「米国に対する憎しみはパナマではもちろん、中南米諸国の間に増幅していた」とあった。「人権外交」を掲げたカーター氏には、中南米諸国の反米感情を抑制し、民主化を促す狙いがあったのだ。 返還の意義については「民主主義国家というものは公正であり、米国は他国を支配する道を選択せず、威厳と尊厳をもって対等に扱うという事実を示した」と述べていた。