支局に届いた署名入りの手紙 生涯にわたり「人権外交」追求 カーター元米大統領を悼む
返還に先立つ12月14日、パナマ運河の太平洋側にあるミラフローレス水門で行われた返還式典に、カーター氏の姿があった。
約1500人の参加者を前に「運河はあなた方のものであり、パナマの全面的な主権を認める」と、「カーター・スマイル」を浮かべながら、感慨深げに語っていた情景が昨日のことのように思い出される。
それから3年余り後の2002年5月、今度はカーター氏のキューバ訪問を取材した。カーター氏の「らしさ」が押し出されたのはハバナ大学での講演だった。
当時のフィデル・カストロ国家評議会議長らキューバの全閣僚が見守る中、「両国関係を変革させるときが来ている」とスペイン語で切り出した。
カストロ氏に「人権など基本的な権利は本来、キューバの憲法が認めているものだ」と迫る一方、米国のブッシュ(子)大統領と議会にも「米国人の渡航制限を解除し、禁輸措置を撤廃することを望む」と呼びかけた。
講演は国営テレビを通じ全国に生中継され、カーター氏も「キューバの国民に直接、語りかけることができた」と満足げだった。
キューバに対し強硬だったブッシュ政権が、カーター氏の仲介的な独自外交に強い嫌悪感を抱いたことは言うまでもない。しかし、そこにこそカーター氏の真骨頂があったといえよう。
(産経新聞客員論説委員 青木伸行)