亀梨和也主演「ゲームの名は誘拐」ドラマには小説の続きがあった 逆転に次ぐ逆転で物語の印象ががらりと変わる 20年以上前が舞台でも時代設定に違和感なし
■小説とドラマ、ここが違う!
単行本の出版は2002年でもう22年前の作品なのだけれど、技術的な部分も含めてまったく古くなっていないことに驚く。たとえば作中、佐久間は葛城との交信に使い捨てのメールアドレスやネットの自動車好きが集う掲示板を使うが、メールはドラマでも同じだし、掲示板はSNSに変更されただけ。ヘリウムガスを使って声を変えるくだりはボイスチェンジャーのアプリに変わった。22年前ともなれば今となっては古い仕掛けが出そうなものなのに、それがまったくないってすごくない? ちょっと話はずれるが、誘拐ミステリほど時代を反映するものはない。新聞の文字を切り抜いて貼った脅迫状や逆探知のための電話引き延ばしなどは昭和の誘拐モノの定番だった。変わったところでは1978年刊行の天藤真『大誘拐』(創元推理文庫)ではテレビの生放送を使っている。1988年の岡嶋二人『99%の誘拐』(講談社文庫)はパソコン通信が登場。2015年の呉勝浩『ロスト』(講談社文庫)は誘拐を告げる電話が被害者宅ではなく通販のコールセンターに入ったり、捜査員にSNSでグループをつくらせてそれで指示をしたり。2022年の京橋史織『午前0時の身代金』(新潮社)は10億円の身代金をクラウドファンディングで集めるという設定だ。読み比べてみると時代が見えて面白いよ。 話を戻そう。ドラマでは佐久間を亀梨和也、樹理を見上愛、葛城副社長を渡部篤郎が演じる。誘拐に至る道筋、誘拐計画とその遂行、その間の佐久間の職場での様子など、基本的には原作通り。だが、ラスト以外にも興味深い設定の追加があった。それは副社長の様子がおかしいことに不信を抱いた宣伝部長・石澤(飯田基祐)に、葛城が娘の誘拐を明かすこと。警察には届けてないという葛城に、届けるべきだと石澤が進言する。このあと身代金受け渡しの場面で葛城の車を追跡しているように見えるセダンが登場する(これも原作にはない)。視聴者にとっては葛城が警察には届けていないことがわかると同時に、石澤が自己判断で通報した可能性も考えてしまう場面だ。 佐久間の視点のみで進むのが特徴だった原作に対して、ここでドラマは「葛城側」を描いたことになる。おやおや? 原作をご存知の方ならわかると思うが、葛城側を描くことはこのミステリにおいてちょっとリスクがあるのだ。どうするんだろう……と思っていたら、それがラストの「小説の続き」に効いてくるのである。なるほど、と膝を打ったね。 もうひとつ、原作のラストでとても重要な役割を果たすある小道具があるのだが、それがドラマの中に出てこないことに首を傾げた。あれがないと結末が変わってしまう。何か別のもので代用するのかなとも思ったのだが、その「別のもの」にも感心した。このあたりはぜひ原作と比べてみていただきたい。