かつては日本一に貢献も移籍先で死球きっかけに戦力外通告 “1球”に泣いた福田秀平が新設球団で若手に伝えたいこと
プロ野球の世界で、かつて日本一にも貢献した選手が戦力外通告を受けた。それでも現役にこだわり、新設球団で再起を狙っている。男の名は福田秀平。戦力外通告につながった死球の後遺症が今も残り、肩の状態が万全ではない中、なぜ現役を続けるのだろうか。 【画像】死球きっかけに戦力外…1球に泣いたベテランが若手に伝えたいこと
プロ17年目が新設球団をけん引
2024年に65年ぶりの新設球団として誕生した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」。所属選手のほとんどがアマチュア出身の中、輝かしい経歴を持つ”チームの顔”がプロ17年目・福田秀平 選手(35)だ。 福田秀平 選手: 最初からうまくいくわけはないので、その中でも1つ1つのプレーや、若い子たちの1日1日の成長速度を見ると、このチームはまだまだ強くなっていくと思う 2006年にドラフト1位でソフトバンクへ入団した福田選手。勝負を決めるバッティングでファンに馴染み深く、走塁でも非公式ながら32回の連続盗塁記録達成(シーズンまたぎのため参考記録)など、記憶に残る選手だ。 その活躍から、2019年のオフには5球団による争奪戦の末にロッテに移籍。4年契約を結んだが、2023年に戦力外通告を受けた。 2024年で35歳を迎えた彼はいま、くふうハヤテで再起をめざしている。輝いていたソフトバンク時代を彷彿とさせるチーム初のサヨナラヒットを放つなど早くも新球団の”顔”だ。 福田選手は「1軍の舞台に似た緊張感で打席に立てて、その中で打つことができたのでホッとしました」とサヨナラヒットを振り返る。
死球によるケガで戦力外通告
プロの第一線で戦ってきた福田選手が、なぜ新設球団を再起の舞台に選んだのだろうか? 理由は今の肩の状態だ。右手で左肩を触ることができない。 福田秀平 選手: 日常生活でこれが限界です。(これ以上)手がいかないです。(右手で自分の左肩が)触れないです。でもこの肩でできるプレーを模索しています それはロッテ移籍直後の2020年だった。顔面付近に来た投球を避けようと背を向けた際に投球が直撃。 福田選手はバッターボックスにうつ伏せに倒れて顔をゆがめた。このケガで右の肩甲骨が変形し、後遺症で思うようなプレーができず戦力外へとつながった。今でも痛みと向き合っている。 福田選手は「骨の変形なので、(右肩は)もう100%になることはない。肩の今の状態を毎日確認して、『今日は悪いな、今日はいつもより良いな』というのを感じながら、この肩でやっていくしかないので」と話す。 ロッテからコーチのオファーもあったが、満身創痍の身体と向き合いながらも現役をあきらめなかった。