「単純な物語」を捨て、小説世界を構築する 奥泉 光×小川 哲『虚史のリズム』刊行記念対談
dadadaのリズム
小川 実は『ゲームの王国』のときは小説の書き方がよくわかっていなくて、自分の中では破綻したというか、散らかしたものを全て片付けて終えることができなかったという感覚が残っています。だから『地図と拳』では、作品の柄が多少お行儀よくなっても、散らかしっ放しで終わらないようにしよう、破綻しないようにしようという気持ちで書き始めました。奥泉さんが『虚史のリズム』を書き始めたときとは正反対ですね(笑)。 とはいえこの作品も、終盤になるにつれ、奥泉さんの癖か美学かはわかりませんが、きちんと回収するパートが増えていきます。何といっても、dadadadadaの仕組みがあることで、はち切れそうになった小説を音楽的に収めることができてしまっているというか……。この小説のリズムは石目の語りのリズムでもあるとおっしゃっていましたが、後半になるにつれて、dadadaのリズムが前面に出てきますよね。 奥泉 後半で暴れているdadadaは、実はもともと出てくる予定はなかったんです。主人公の一人である神島が、下宿で横になっているとき、襖絵に描かれた人物が「あ」のかたちに口を開けているのに気がついて、ドイツ語の「da」と言っているのだと思った――そういうちょっとしたシーンを序盤で書いた。それだけのはずだったんです。ところが、そうか、「da」は死者が口から漏らす響きかもしれないなと、イメージがどんどん膨らんでいって……。戦争体験をどう捉えるかの問題をめぐるあれこれをこの本では繰り返し書いているわけですが、体験の全体を表象する響きとして、dadadaというダダイズムの詩句のようなフレーズが出てきた。その意味では、はち切れそうになった小説を音楽的に収めたというのはその通りで、この部分は小説テクストとしては破綻していると言えるかもしれません。 本を見てもらうと、装丁をしてくださった川名潤さんの版組が後半のほうですごいことになっているでしょう(笑)。前の方にも何度かdadadaが入っているんですが、ぶっちゃけていうと、実はそのあたりは、テクスト的に少し弱いので、なんとかdadadaで補強してくれませんかと、川名さんに頼んだんです(笑)。その意味では、失敗を辞さずというのは、ここでわずかながら実現しているのかもしれない。どちらにしても、小説というのは、公にしうる範囲内でなら何をしてもいいわけで、とりわけそういう遊びが許されるジャンルだとも思うわけで。 ――dadadaのタイポグラフィで言えば、ルビにdadadaが入ってくるのは斬新だなと思いました。 奥泉 そう、そこは川名さんのアイデアですね。僕は後半でdadadaが蛇のようにうねるようにしてほしいと頼んだ(笑)。今はいくらでも奇抜なレイアウトに対応することができるじゃないですか。でも川名さんは、戦後すぐの組版でもできる範囲内でやりたい、と。そこは川名さん流のこだわりですね。