「単純な物語」を捨て、小説世界を構築する 奥泉 光×小川 哲『虚史のリズム』刊行記念対談
歴史は変えられるか?
小川 そういえば『虚史のリズム』には、国家機密である「K文書」とからんで、「第一の書物」「第二の書物」という、未来予知に通じるモチーフが出てきますよね。これは一九九八年に出た奥泉さんの『グランド・ミステリー』のメインモチーフですが、実は僕の『地図と拳』にも、未来予知みたいなものが出てくるんです。 ――たしか『地図と拳』を書いた時点では、小川さんは『グランド・ミステリー』を読んでなかったんですよね。 小川 読んでいませんでした。大森さんに『地図と拳』の構想を話したとき、『グランド・ミステリー』を読んだほうがいいよと二回ぐらい言われて(笑)。でも、読んだら逆に書きづらくなりそうだなと……。 ――『地図と拳』にも、未来を知っているかのような人物が出てきて、研究所が創設されて戦争を回避しようと努力するんだけど、結局歴史のコースは変えられない。あたかも『グランド・ミステリー』にオマージュを捧げたかのようにも見えました。 小川 奥泉さんの作品は以前からかなり読んでいて、特に『ノヴァーリスの引用』が大好きで、何度も僕なりに『ノヴァーリスの引用』をやろうと思って失敗しているんですよ(笑)。その経験があったので、これは読まないほうがいいなと思って。 ――さすが、クリストファー・プリーストの『奇術師』を読まずに「魔術師」を書いた小川哲だけのことはあるなと思いました(笑)。 奥泉 読んでなかったんだ。 小川 理屈でつくっていくと同じ答えになるということですね(笑)。 ――プリーストにも、『双生児』という第二次世界大戦を題材にした長編があります。これは双子のどちらが生きているかで歴史が二重化するというアイデアで、『グランド・ミステリー』と同じようなことをイギリスでやっている。二〇〇二年の小説なので、『双生児』のほうがあとですが。 小川 僕、いまだにプリーストは一冊も読んでいません。もう怖くて(笑)。絶対面白いのはわかっているんだけど、今後、自分が書くときにプリーストがちらつくのが嫌だなと。 奥泉 影響はむしろ受けたほうがいいと思うけどね(笑)。でもSFだったら、同じアイデアになっちゃうことはありうるか。そうするとたしかにやりづらいですね。 小川 SFの場合は同じアイデアで書かれていて、どっちも名作という例もいっぱいあるので、全く同じ作品には絶対ならないとは思うんですけど……。奥泉さんの「第一の書物」「第二の書物」というSF的な装置は、どんなかたちで生まれて、どんな意図で使われているものなんですか。 奥泉 『グランド・ミステリー』の出発点は、「戦時中という大量死の時代に、ひとりの人間の死の意味があるのか」という問いでした。そこからミステリーを構想していった。「第一の書物」「第二の書物」の二つの現実のモチーフは、書いている途中で出てきたもので、SFのアイデアとしてはとくに目新しいものではないけれど、これを導入することで、小説に膨らみと推進力が生じて、それに導かれるまま進んでいったという感じですね。そこから「個人は歴史を変え得るか」という主題も必然的に生じましたが、小説世界を多層化、重層化するための装置の面がむしろ強かったと思います。 今回の『虚史のリズム』は、その続編でもあるわけです。さっきの破綻の話で言うと、『グランド・ミステリー』の一番の破綻――というほどではないけれど、問題が残ったのは、志津子という女性なんですね。彼女は非常に大きい役割を小説中で持っているんだけど、しかし、『グランド・ミステリー』ではその後あまり出てこなくなって、彼女はいったいどうしたんだという疑問があったわけ。だから志津子に決着をつけることが、今回の小説を書く動機のひとつでした。 そうして書きはじめたら、志津子は少なくとも思想的には「歴史は変え得る」という立場に立つ強烈なキャラクターになっていった。それが書きたかったのかもしれませんね。歴史は改変できる。より良き世界の構築は可能である。そうした肯定的理念に己を賭ける人物として、彼女を描くことになった。だから極端なことを言うと、『虚史のリズム』は、彼女のために書かれた小説なんです。さらに、その思想を受け継ぐかもしれない澄江という人物も出てくる。『グランド・ミステリー』では、『虚史のリズム』で「K文書」を遺した人として登場する貴藤大佐が歴史の改変に挑戦して失敗する。今回は、非常にかすかで淡い線なんだけど、歴史の流れに抗していく可能性の芽が未来に残された。その点が『グランド・ミステリー』と『虚史のリズム』の大きな違いかもしれませんね。 小川 歴史小説の一番の弱点って――そう言っていいのかどうかわかりませんけど――オチがわかっていることじゃないですか。第二次世界大戦の話を僕がどれだけサスペンス味たっぷりに書いたところで、最後に日本が負けることはみんな知っているわけです。だから、読者からすると一定のストレスがあるかもしれない。つまり、出てくるやつは全員負けに向かって一直線に動いているという。 奥泉 満州国の建設も失敗に終わると。 小川 そう、失敗するのにいろいろ頑張っているわけで、「無駄だからやめろよ」と思いながら読む人もいるかな、と想像しました。『地図と拳』に予知のモチーフを出したのは、読者と同じような視点を持った人物を入れたかったからです。つまり、近代史を扱うに当たって、読者のツッコミを作中で代弁してくれる人物ですね。「そんなことしてると戦争に負けるよ」と言ってくれる人がいたほうが、負けるというオチがわかっている小説を読む上でストレスが幾分か軽減されるかなと。実際問題として、戦争に負けることを知っていた人物は、戦時中においてもそれなりの数でいたわけじゃないですか。だから、そういう人物を中心キャラクターとして動かしたいという欲求が、僕の場合はありましたね。 近代史を扱う小説の中に、予知や繰り返される人生という要素を入れるとき、それが作品のテーマを深める部分と、単純に読者の視点として機能する部分と、両方を持ち得るのかなと思っています。だから『虚史のリズム』にもそういうモチーフが出てくるのかなと想像していました。 奥泉 なるほどね。しかし、そうした仕組みは単純に面白いよね(笑)。僕は、SFでは時間ものが一番好きですね。 小川 たしかに戦後が舞台の『虚史のリズム』でも、現代からやってきたと思しき久良々が終盤で登場したりもしましたね。 奥泉 そうそう。ここまで書き進めてきたら、現代を生きている人間が出てくるのも全然ありだなと(笑)。なんせ主人公が鼠になっちゃった世界ですからね。これは『神器』でも同じことをやっています。今回の久良々(くらら)ははるかに頭がいいんですが(笑)。 小川 夢か現実かもわからないわけです。はたまた一方で「第一の書物」「第二の書物」の未来予知も、催眠術で説明できてしまうかもしれない。 奥泉 その可能性はどうしても残したくなる。リアリズムのラインもぎりぎり残したい。志津子も最後まで「第一の書物」のことを、二つの現実の存在を認めない。少なくとも認めるとは言わない。 小川 僕の小説はよくインテリの登場人物が多過ぎると言われますけど、たぶん奥泉さんの作品のほうがインテリが多いですよね(笑)。 ――でも、愛敬あるバカも出てきて、バランスがとれている。 小川 いや、とはいえ石目もけっこう鋭いんですよ、戦争について語らせると。