昭和なら許された、ちょっとスケベなおもしろおじさんになりたいーー「命の授業」に挑み続ける、ゴルゴ松本54歳
「天命を感じた」きっかけは東日本大震災
「東日本大震災が起こる前のことです。少年院で講演してくれないか、って話が来て。最初はピンと来なくて、断ってたんです。自分なんかが、若者たちの更生に役に立てるのかな?って。でもね、何度も誘っていただいた。しつこいくらいだったから(笑)、じゃあ、一度話を聞きますか、って腰を上げて法務省へ出かけて行ったわけです。その後、3.11ですよ。あの震災の被害って、衝撃的だったじゃないですか。何でもいい、自分にできることはないかって、引き受けました。初めて少年院へ行き、体育館を出た瞬間、『これはできる限り、続けていこう』って思ったんですよね」
何のために自分は命を、そして「命!」芸を授かったのか。「命の授業」をするためだったのだ、とハッとさせられたという。 「僕の中で、全部、過去が現在に繋がっちゃったんです。ああ、このために生まれた。このために野球で体力づくりをして甲子園を目指し、このために田舎の山を見て『命』のギャグを思いついたか、ってね。運命、宿命、一生懸命の『命』。考えてみたら、自分が思い描いていた未来って、芸能界で有名になるところまで。10年間の下積みがあったけど、30代に入ったらもう食えるようになっていました。結婚して、40代目前になって、その先の50歳になった自分を考えた時、このままでいいのかな、まだまだ自分には人間力が足りないな、そう思ってはじめたのが歴史の猛勉強。それが漢字につながって、少年院の子どもたちや、全国の小学生、おじいちゃん、おばあちゃんたちにまで話をするようになっていく。若い頃は考えたこともなかった流れだけど、これが僕の人生」
人間力のある50歳を目指し歴史を猛勉強
「日本人として、自分のルーツ、松本という名字はどこからきたんだろう、まずはそこから調べはじめました。どんどん歴史にハマってね。学校では、勝った人たちがつくった歴史を中心に教わってきたけど、負けた歴史は知らないな、と思って、そういう本ばかり読んだ。物部が負けた、蘇我が倒された。平家の落ち武者伝説、その人たちの血筋は……とか、調べていくと、やっぱり命を繋げること、生きるっていうことが重要だな、と考えるようになって」