【拉致問題解決への祈りは続く】さかもと未明さんが振り返る「横田夫妻との交流」と「バチカン枢機卿からの言葉」
そして 2018年3月、バチカンの聖マリア・マッジョーレ大聖堂で、私は拉致被害者の帰国を祈り、めぐみさんの絵を傍に『青い伝説』を歌唱。動画で撮影した。「これが世に出たら死んでも悔いはない」と思った。 しかし──。あろうことか私のイタリア滞在中に滋さんが倒れてしまった。その報せを受けたのは、帰国後、羽田空港から自宅に向かう車中。テレビ局のプロデューサーから「滋さんが重体です。そして『弱った滋さんの姿は見せたくない』という早紀江さんの意向で、放送は中止になりました」と伝えられた。 中止に驚いたのは勿論だが、何より滋さんが心配で、私は早紀江さんに電話をした。お見舞いしたいと頼んだが、「安倍(晋三)首相や日銀の方のお見舞いもお断りしているの。一人来ていただくと、お見舞いが止まらなくなって、お父さんが死んでしまう。そのくらい危険なの」と声を詰まらせた。 私の人生であんなに辛かったことはない。そして2020年、滋さんは還らぬ人となった。
実現したモンテリーズィ枢機卿との対話
それから数年、『青い伝説』も『はな』も、私は歌うことができなかった。喜んでいただけると皆で撮影したドキュメンタリーが、結果的に早紀江さんを悲しませたことも申し訳なかったし、プロテスタントである早紀江さんの周りで、カトリックを敬遠する方々がいたことも知ったからだ。政治だけでなく、様々な人々の感情も含めて障害となり、拉致問題解決はかくも難しいと知って、私はとことん打ちのめされた。 けれど2021年頃から、「バチカンで歌った曲を聴きたい」と、あちこちで言われるようになった。私の小さな活動が、少しでも響いてきたのだろうか? 榛葉昌寛さんも、「『はな』も三枝先生がオーケストラ編曲してくれたのに、歌っていません。2024年に、再度バチカンの聖堂で歌いませんか?」と言ってくれた。前の演奏はメディアを通じて広めることすらできなかったのに、誰も文句を言わないでくれたうえ、モンテリ―ズィ枢機卿が今も応援くださるのだという。 「歌わせてください」。私は答え、頼んだ。「その時枢機卿に、拉致問題についてのインタビューをお願いしたいです」 枢機卿はすぐに了解の返事を下さった。ただし、バチカンの広報の様々なルールにより、演奏日当日のインタビュー撮影は、夜に屋外で行うこととなった。まだ3月上旬のローマの夜は寒い。けれど89歳が目前のモンテリーズィ枢機卿は、快く応じてくださった。 「前回、ドキュメンタリーの発表ができなくて申し訳ありませんでした」。そう謝罪した私に、枢機卿は答えた。 「謝らないでください。被害者と家族の方々のために悲しく思い、祈り続けています。横田夫人の気持ちも理解できます。彼女は色んな苦しみの中にいますから」と言い、「北朝鮮の拉致問題は本当に悲しいことです。ミスター横田が亡くなったことには言葉がありません」と繰り返した。 「今日また、歌わせていただきます。でも、2018年に自分の非力さを痛感しました。今回も何も役に立てないかもしれませんが……」 逡巡する私を、枢機卿は励ましてくださる。 「まず自分を心地よい状態にしてください。そして、誰に対してもよい関係でいられるようにしてください。うまくやれる可能性がないとしても、親、親戚、友達、誰に対しても、友情をもって接する努力をすべきです」 確信をもって迷わずにおっしゃる枢機卿の姿に心を打たれる。私は聖書についての勉強を続けていたが、聖書が説く「愛」とは、実に難しいことだと考えてきた。しかし、枢機卿は迷わずに、「友情をもって接する」ことが大切だという。