【拉致問題解決への祈りは続く】さかもと未明さんが振り返る「横田夫妻との交流」と「バチカン枢機卿からの言葉」
全ての仕事を失い余命宣告を受けていた私はどれだけ救われたことか。その後、私は、病気の私を救いたいと求婚してくれた男性と結婚。2013年6月に挙式した時、横田夫妻は「親代わり」を引き受けてくださり、結婚式を支えてくれた。 私はその恩返しがしたくて、拉致問題の解決を祈るオリジナル曲『青い伝説』と『はな』の歌詞を書き、ピアニストの遠藤征志氏に作曲を依頼した。拉致問題について英語で発信するホームページを作り、歌詞を5か国語に翻訳。世界に問題解決を訴える方法を考え続けた。残された時間で、何か夫妻の役に立ちたかったのだ。
バチカンで拉致被害者の帰国を祈り歌った『青い伝説』
ちょうど結婚式の頃、横田夫妻は全国行脚の活動に疲労の色を見せていた。私は「YouTube動画を作って発信しませんか?」と提案した。そして2014年に冒頭の言葉を含む動画を撮影したのだ。 死の可能性を宣告されていた2015年を乗り越え、手が少し動くようになった私は、横田夫妻の肖像を版画にして2017年に銀座の吉井画廊で発表した。しかし、その時訪ねてくれた横田滋さんが、驚くほどに弱っておられた。 「一刻も早く世界に拉致問題解決を訴え、解決しなければ間に合わない」──そう焦っていたところ、バチカンと日本をつなぐ震災復興コンサートのプロデューサーでテノール歌手の榛葉昌寛氏に出会い、「バチカンの大聖堂でのコンサートでオリジナル曲を歌い、世界にメッセージを発信しませんか?」と提案を受けた。 まさかそんなことができるのかと思ったが、榛葉氏はすぐに、バチカンのモンテリーズィ枢機卿に引き合わせてくれた。また、現首相の石破茂氏がプロテスタントで枢機卿と知り合いだったこともあり、紹介状をくださった。そして、通常なら政治的な内容は発信しないバチカンの大聖堂において、「人道的な見地から、北朝鮮の拉致問題解決を提起し、歌うこと」を許可された。オーケストラ編曲は三枝成彰氏、2018年のことだ。 この試みに共感してくれた地上波のテレビ局でドキュメンタリー制作も決まった。横田滋さんも飯塚繁雄さんも、撮影に協力してくれた。滋さんは身体が弱っていたが、その姿を晒しても娘を取り返したい一心だったと思う。