天才ハッカー、オードリー・タン氏が考える「機械より優れた人間の能力」とは?
オンラインとオフラインの使い分け
デジタルの時代、人はさまざまなデバイスとどのように付き合っていくべきか?オードリーの考えるデバイスのあるべき姿は、人と人の間にデバイスがあり、デバイスを通じてより多くの人とつながれることだ。つながるべき相手は機械ではなく人だ。オンラインゲームにはまり、現実世界を忘れて完全にバーチャルの世界に入り込むのと、ゲームを通じてより多くの友達と出会うのと、どちらがいいだろうか? 2020年のパンデミックにより学校が閉鎖され、急速に広がったオンライン授業がいい例だ。教室で授業を受けているとき、ぼんやりしていて先生の話を聞き逃したが、先生の目が怖くて隣の学生に聞けなかった。結局、授業についていけなくなり、さらにぼんやりするしかなかった。オンライン授業なら、わからなくなったら別のウインドウを開いてクラスメイトに質問することができ、後れをとることはない。 授業がオンラインになると、教師が「教室を監督したい」という欲求を捨てられさえすれば、学生にとっては学ぶ環境がより快適になる。リモートで数学の授業をする場合、学生に電卓の使用を禁ずることはできないが、その代わり単純計算に時間をとられることなく、根本的な数学の論理に重点を置けるようになる。授業中の計算など無意味なことだ。 リモート授業を進めるにあたっては、教師もまたデバイスとの付き合い方やプラグインの利用法などを改めて学ぶ必要がある。 リモート授業では学生が複数のウインドウを開いて同時に作業するのを禁止できない。教師はオンライン授業を盛り上げるために何ができるかを考える必要がある。 教室を監督することへの欲求が捨てられない教師は、「学生の姿が見えないと学生をコントロールできない」と焦ったり、「自分の映るウインドウは画面の端に追いやられていないか」と心配したりする。こうした欲求を捨てさえすれば、特に座学中心の教科においてリモート授業はとても自由で便利だ。学びの主導権は学生たちにあり、先生の話がわからなければ、チャットでクラスメイトに質問したり辞書を引いたりできる環境のほうが、かえって授業に集中できる。