「ディスクレーマー 夏の沈黙」真実の迷宮へと引き摺り込む、巧妙に仕掛けられた“語りと形式” ※注!ネタバレ含みます
ポストトゥルースの時代
「語りと形式に気をつけて」。前述した授賞式会場で、司会者は続けてこんなアナウンスをする。 「(キャサリンは)長年存在していたベールをとりはらい、強大な組織と加害者の実態を暴いてみせたのです。でも気をつけてください。キャサリンは真実を明らかにする過程で、私たちが操られるのは自身の信念と判断ゆえと警告しています。そして、より深刻な問題を提起しています。私たちも現代社会の罪に加担しているということです」 我々はいま、ポストトゥルースの時代に生きている。客観的事実よりも、個人の感情が全てを覆い尽くす時代に。己の信ずる正義ゆえに、良心ゆえに、倫理ゆえに、眼前にある出来事を都合の良いように解釈してしまう。『ディスクレーマー 夏の沈黙』は、その臨床実験のような作品だ。20年前の<真実>をフェイクで巧みに覆い隠し、スティーヴンや夫のロバート(サシャ・バロン・コーエン)のみならず、我々観客をも罪に加担させる。アルフォンソ・キュアロンのコメントを引用しよう。 「主人公が女性である物語で、最後に観客は大きな事実を知らされるだけでなく、自分自身の判断を突きつけられる。キャサリンの周りの登場人物は皆、彼女を沈黙させている。いま彼女が抱えている真実は、言葉にするのが難しく、彼女には時間が必要だった。彼女には助けが必要だった。支えてくれる愛情、助けが。観客はある意味で、自分たちの判断でキャサリンを沈黙させているのだ」(*) 過酷で現代的なテーマを内包した『ディスクレーマー 夏の沈黙』。だがおそらくアルフォンソ・キュアロンは、厭世主義/悲観主義的な視点でこの物語を構築していない。むしろ、大きな慈愛で包み込もうとしているようにさえ見える。まさしく彼の半自伝的映画『ROMA/ローマ』という作品がそうであったように、主人公が抱えている哀しみを、愛の力で癒していくドラマに見える(ROMAを逆から読むとAMOR…スペイン語で愛という意味になる)。キラキラと降り注ぐ太陽の光は、神の祝福のようだ。 アルフォンソ・キュアロンは、このドラマを通して世界中に祈りを捧げている。愛を謳っている。だからこそ、物語は彼の代名詞というべきマントラで締め括られるのだーーーShantih Shantih Shantih(平安なれ 平安なれ 平安なれ)。 (*)https://www.menshealth.com/entertainment/a62639012/alfonso-cuaron-disclaimer-interview/ 文:竹島ルイ 映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。 Apple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」 Apple TV+にて好評配信中! 画像提供 Apple TV+
竹島ルイ