台湾現地ルポ・立法院占拠24時 第4回 「ひまわり運動」の背後にあるもの
「第3回・学生は何を考えていたか」から続く 3月29日午後6時30分。私が宿泊先を出ると、ぽつりぽつりと雨が降り出していた。食事でもしようかと館前路をぶらついていると、「うぉー」という轟音が耳をつんざいた。音はどこから出ているのだろうか。自然と足がはやまる。新光三越の前につくと、道路越しに多くの人の姿が見えた。地下道を抜け、台北駅前に近づいた。駅前広場に設置されたステージを囲むようにして、国旗を手にした人々が集まっていた。500人はいるだろうか。参加者の年齢層は幅広く、家族連れとおぼしき姿もあった。
雨脚は風とともに強まった。それに呼応するかのように、人々のあげるシュプレヒコールにも力が入った。「台湾! 台湾!」。台湾国歌が斉唱され、人々が手に持つ旗が左右に揺れた。青・赤・白で鮮やかに彩られた台湾国旗には、孫文の三民主義が象徴されている。大きな国旗を手にする2人の女子学生にカメラを向けると、笑顔で撮影に応じてくれた。 多くの人はここまで読んだとき、私が「ひまわり運動」について書いていると思われるだろう。だが、この台北駅前における集会はそうではなかった。それどころか、占拠を続けていた学生たちに「立法院の返還」を求める集会だった。日本ではあまり報道されていなかったが、台湾でおきていたのは「ひまわり運動」だけではなかったのだ。翌日の報道によると、参加者はソーシャルメディアを通じて集まった大学生や社会人だという。組織の仕方としては「ひまわり」と同じだ。だが、こういった運動に注目が集まることは極めて少なかった。 しかし、なぜ「ひまわり運動」だけが世論の大きな支持を得て、大きなうねりを生み出せたのだろうか? 馬英九政権は台中間の経済統合を強引に進めようとしていた。台中間の「サービス協定」では、台湾で起業した中国人に対して居住ビザが与えられ、さらに4年後には市民権の付与もされると取り決められていた。投資案件の調査基準も不透明で、中国から移住目的で台湾にくる人の数が増えることも懸念されていた。また、台湾国内の出版部門を開放することで、中国資本が流入し、言論の自由が抑圧されると心配する声も少なくなかった。そのようななかで、立法院を占拠してでも「サービス協定」に反対し、「中台統一」の流れに歯止めをかけようとしたのが「ひまわり運動」だった。