朝ドラ『虎に翼』が描かなかった「日本婦人法律家協会」とは? 三淵嘉子さんらが所属した女性法曹団体設立の裏側
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、第22週「女房に惚れてお家繁盛?」が放送中。星 航一(演:岡田将生)と遺言書を取り交わすことで「家族のようなもの」になった寅子(演:伊藤沙莉)は、娘の優未(演:毎田暖乃)とともに星家での生活を始めた。一方、職場では寅子を慕う後輩の判事補・秋山真理子(演:渡邉美穂)が登場し、かつての寅子同様に妊娠によって自身のキャリアが途切れることへの葛藤をみせた。当時全国でもまだ珍しかった女性法曹だが、史実には彼女らが“横の繋がり”を築いた協会が誕生していた。 ■朝ドラが描く女性の妊娠・出産とキャリア断絶という天秤 『虎に翼』では、寅子と同じタイミングで久保田聡子(演:小林涼子)と中山千春(演:安藤輪子)が高等試験司法科に合格。修習期間を経て、3人は日本初の女性弁護士となった。しかし、久保田や中山はやがて仕事と家事・育児の両立の難しさなどから疲弊しきり、仕事を辞めるという選択をする。 寅子もまた、自身の妊娠を機に弁護士を辞めるという決断を下した。この時の恩師・穂高重親(演:小林 薫)との諍い、そして山田よね(演:土居志央梨)との確執は、その後長く尾を引くことになる。 戦後、法曹の世界に舞い戻った寅子は民事局民法調査室を経て家庭裁判所設立準備室に異動し、東京家庭裁判所設立の段階で判事補、新潟地方裁判所三条支部への赴任のタイミングで判事へと昇進していく。 寅子の帰京後には女子部時代の同期・山田よね(土居志央梨)が司法試験に合格して弁護士になったこと、久保田は鳥取で弁護士として仕事を続けており、中山は検事になったことが明かされた。寅子を慕う後輩・秋山真理子も登場したが、やはりまだまだ女性法曹の数は少なく、育児休業などの制度もないという状況が描かれている。 ■GHQの勧めで誕生した「女性婦人法律家協会」 史実では、寅子のモデルである三淵嘉子さんが昭和25年(1950)にアメリカ視察に派遣されている。帰国後、三淵さんにGHQ法務部に所属していた女性弁護士のメアリー・イースタリングから連絡があった。指定された場所に赴くと、そこには三淵さん以外にも数名の女性法曹がいたという。そこで「アメリカにある女性法律家の団体にならって、日本でもそうした組織を作ってはどうか」と提案された。 GHQが日本の女性の地位向上を目指していたことはもちろん大きく影響している。同時に、当時法曹資格を持つ女性は極めて少なく、“横の繋がり”を築くことが重要だという意識もあったのだろう。同年9月には「日本婦人法律家協会」(現在の日本女性法律家協会)が設立された。会の目的としては「婦人法律文化発達と会員相互の親睦を図ること」で、女性の弁護士・裁判官・検察官だけでなく、法学研究者も参加して10余名でスタートさせた。 初代会長に就任したのは、『虎に翼』に登場する中山千春のモデルである久米愛さん。久米さんはその後、昭和51年(1976)に亡くなるまでの26年間、会長として会の運営を牽引し続けた。そして副会長に就いたのが三淵嘉子さんだった。 2人のほかには、戦前に明治大学女子部教授を務め、後に女性初の法学博士となる立石芳枝さん、女性初の判事補だった石渡満子さん、後に女性初の高等裁判所長官になる野田愛子さん、女性初の高等試験行政科合格者だった渡辺美恵さんをはじめ、女性の法曹界進出の最前線にいた人々が初期メンバーとして名を連ねていた。 同会は発足後まもなく国際婦人法律家連盟にも加盟し、会員同士の親睦を深めるだけでなく、海外の女性法曹とも交流していたという。そして、所属しているメンバーはみな、女性法曹としての道を切り拓き、女性の権利を守り、地位を向上させると同時に、深く根付いた女性差別を少しでもなくしていくために尽力し続けた。 <参考> ■清永 聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社) ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部