「田んぼが心配や」弥生人の足跡発見 ── 高槻市・安満遺跡
「田んぼが心配や」弥生人の足跡発見 ── 高槻市・安満遺跡 THE PAGE大阪
関西の代表的弥生遺跡である大阪府高槻市の安満(あま)遺跡で昨年から実施されていた高槻市教育委員会の発掘調査が終了。このほど現地説明会が開かれ、多くの考古学ファンらが詰めかけた。洪水に見舞われた田んぼの様子を見にきたと推定される弥生人の足跡が出現。足跡には力強さがみなぎり、弥生人パワーのたくましさが伝わってくるようだ。
住まい・水田・墓地の弥生集落3要素が勢揃い
安満遺跡は大阪平野の北東部、淀川右岸の扇状地に広がる弥生時代の集落遺跡。1928年に発見された調査時、北部九州に成立した弥生文化がすばやく畿内に流入していたと初めて指摘された著名な遺跡だ。遺跡の中心部は国の史跡に指定されている。 遺跡の広がりは東西約1.5キロ、南北約0.5キロ。これまでの調査で、弥生時代の約700年存続していた拠点的集落で、近畿地方の弥生社会の構造を知ることができる重要な遺跡であることが明らかになっている。 今回の発掘成果を含めて、環濠を伴う「居住域」、用水路を備えた水田などの「生産域」、溝で囲んだ内部に埋葬する方形(ほうけい)周溝墓(しゅうこうぼ)などの「墓域」という「集落の3要素」がすべて確認された。弥生人がどんな住まいを構えて水田を耕作し、どのように死を迎えていたのか。弥生人の暮らしぶりに肉迫できる集落3要素がそろった遺跡は、全国的に珍しい。
短冊状の細長い水田が広がる田園風景
約2500年前の水田跡は、南北方向に細長い短冊を敷き詰めたような構成になっている。水田1枚の広さは10平方メートルから65平方メートルで、現代の水田と比べると、かなり狭い。 大きな水田の高さを一定にする土地改良技術がなかったからだ。扇状地のゆるやかな高低の違いにさからうことなく、高低差のごく少ない棚田を慎重に積み重ねるようにして細長い水田を管理していたとみられる。 田んぼを仕切るあぜは幅が20センチから30センチで、高さは5センチしかない。田植の季節を迎えると、高い田から順番に水を張り、あぜを越えて低い田へ水を循環させていったと考えられる。弥生人はあぜの上を歩くことなく、あぜをまたぎながら農作業に精を出していた。同じ米どころでも、今の農村とは少し違う田園風景だったことだろう。