国民民主党の「ホテル代112万円」消えた血税…玉木の擁護の声も元国会議員は「世論は不倫を嫌う、そして政治家は立場が厳しくなる」
不倫は文化?なのか
三木は戦後、男女平等を定めた日本国憲法下の1952年、その妾問題から窮地に立った。「妾を4人も囲っている」「女性を奴隷のように扱っている」と他の国会議員から攻撃を受けた。 それに対して三木は「(妾は)4人ではなく5人」と反論、「老来廃馬」(年をとって役に立たないから処分するしかない馬のこと)のような愛人5人をそれでもずっと養っている、と開き直り、当時の有権者から「痛快」「大人物」と称賛されてトップ当選した。 確かに「それで通る時代だった」としか言いようのない話だ。ものすごく古い話のように聞こえるが数百年とか前でなく戦後の話だ。
政治家は、なぜ不倫で立場が厳しくなるのか
ミッテランもまた愛人について「それがなにか?」と開き直った。これについては他国の文化の話なので措くが、1990年代になると日本の芸能界では石田純一の不倫騒動に際し「不倫は文化」(本人は言っていないと説明)という流行語も生まれ、彼は世間から総スカンをくらった。政界でも船田元衆院議員の「政界失楽園」が問題となった。どちらも1996年の話である。 「昭和から平成、この国のそういう面でのモラルは急速に高くなった。出来る男は愛人が何人もいて当たり前とか、男たるもの妻だけで満足するものかとか、そういう価値観は20世紀までだ。銀幕のスターが妾を何人囲ってもそれは勲章のようなものだったがいまは無理だ。実際、無理だから現代は発覚すれば干されたり一線を退いたりする、それでもいいという少数のファンではなく、多数の世論が納得しないからだ」 その場合の少数のファンとは一部ネット上に見られる「不倫をしても構わない」「不倫なんかより大事なことがある」という支持者か。 「仕事ができればそれでいいという人はいる。言い方は難しいが、一般人なら家庭の問題でいいだろう。不倫で家庭が崩壊しようが、会社に居づらくなろうが自業自得だ。しかし人気商売はそうはいかない。不倫でCMは使いづらくなるだろう、テレビ出演も内容は限られるだろう、それは政治家も同じだ。不倫は立場を厳しくする」