米自由化30年振り返る スーパーが主戦場に 産地はブランド米戦略
1995年11月に食糧法が施行され今年で30年を迎える。国が厳格に米流通を規制していた食糧管理法(食管法)が廃止となり、現在、米の流通は自由化された。米売り場の主戦場はスーパーへと移り、産地ではブランド米戦略が重要になっていった。自由化に伴う流通の変化は、その後の米価や需給に多大な影響を与えている。この30年間でどう変わったのか振り返る。
食管法廃止、民間に門戸
1995年まで続いた食管法時代は、国が米の流通を管理していた。産地には国への売り渡し義務が課され、国が決定した価格(政府買い入れ価格)で買い入れ、国が決定した価格(政府売り渡し価格)で販売された。 当初は、消費者は国が発行した「米穀配給通帳」(81年廃止)を持って指定の米穀店で米を購入する配給制だった。ただ、ヤミ米の増加などを受けて69年、一部の米で国を通さない流通を認める自主流通米制度が導入され、民間流通が本格化していく。 95年11月に食糧法が施行されたことで、流通規制が大幅に緩和された。国の役割は備蓄の運営などに限定された。さらに2004年には食糧法が改正され、米の流通がほぼ自由になった。先んじて1990年からは自主流通米の入札が始まり、価格形成センターの入札価格が米価指標になった。2006年ごろから現在にかけては、国が公表する産地と卸の相対取引価格が指標になっている。
スーパー台頭、価格低迷
米価の動きを振り返ると、「平成5年の大冷害」があった1993年産をピークに、米価は右肩下がりが続いた。2003年産の冷夏や、東日本大震災などで需給が引き締まったタイミングで米価は一時的に上昇したものの、翌年産以降には下落。JA関係者や生産者らは、「生産コストを賄いきれない米価水準が続いていた」と口をそろえる。 米価低迷が長期化した理由の一つが、スーパーの台頭だ。米卸でつくる全国米穀販売事業共済協同組合(全米販)の山崎元裕理事長は、消費者の主な購入経路が米穀店からスーパーへと移り変わる中で、「(従来の)ブレンド米から、単一の産地品種銘柄での販売が主流になっていった」と振り返る。全国のスーパーで同一の銘柄が並ぶと独自色を出すのは難しくなる。山崎理事長は、「消費者にとって最も分かりやすい差は価格だった。小売りや卸間で価格競争が激しくなり、米価下落につながった」と話す。 米の消費量が減り続けていることも要因だ。パン・麺といった小麦製品や肉などの食の欧米化に加え、単身世帯の増加などで、「自宅で毎日炊飯することを手間だと感じる人が増えた」(山崎理事長)。長期的な需要減少トレンドの中で、需給緩和による米価下落を繰り返してきた。