エルサレム首都問題で孤立化する米国 国際政治の舵取りは他国にシフトか
アメリカのトランプ大統領が今月6日にエルサレムをイスラエルの首都と認定してから3週間が過ぎた。中東和平の推進において中立性を重要視してきたアメリカの歴代政権の取り組みを真っ向から否定するような決断は、多くの国々でアメリカとイスラエルに対する不満を増大させる結果を引き起こした。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権だが、エルサレム問題が引き金となって友好国とされていた国々との間にもすきま風が吹く現状に直面している。エルサレムの首都認定に反対する国々を国連で経済支援の削減をちらつかせながら“恫喝”するなど、前代未聞の対応を取り続けるトランプ政権。アメリカの孤立が深まるとの懸念もある中、国際政治の舵取りが他国にシフトし始めたようにも見える。 【写真】エルサレム首都宣言 アメリカとイスラエルの関係は? 歴史的背景は?
3つの宗教の聖地が混在するエルサレム
エルサレムは複雑な歴史的背景を持つ町だ。ヘブライ語で「平和の町」を意味する名前が皮肉に聞こえるほど、エルサレムをめぐってこれまでに多くの血が流されてきた。古くは紀元前586年ごろに、当時存在したユダ王国で暮らすユダヤ人がエルサレムからバビロニアに強制移住させられた「バビロン捕囚」から始まり、ローマ帝国によってユダヤ人がエルサレムでの居住を禁じられた時期を経て、7世紀にはエルサレムを重要な聖地の一つと考えるイスラム教徒のアラブ人たちによって征服される。11世紀末にはキリスト教の聖地としてのエルサレムを奪還する目的で、十字軍遠征が行われた。そのような歴史的背景から、エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な建造物などが混在するのだ。 通常、大使館は各国の首都に設置されているが、イスラエルに関しては事情が異なる。イスラエルでは建国から間もない1949年12月に、初代首相のダヴィド・ベン=グリオンがエルサレムを首都とすることを宣言。1950年に政府機関は国防省を除いて、ほぼ全てがエルサレムに置かれることになった。イスラエルは1948年5月から1949年3月まで続いた「第一次中東戦争」に勝利することで、長年の悲願であった建国と独立を確固たるものにしたが、戦争終結後に東エルサレムはヨルダンの支配下に置かれる。エルサレムが東西で分断される状態はしばらく続いたが、1967年の「第三次中東戦争」でイスラエルはガザ地区やヨルダン川西岸地区、東エルサレムなどを占領した。 第三次中東戦争前まで、エルサレムに大使館を置く国はいくつか存在したが、イスラエルの東エルサレム占領する形で全ての国が大使館をテルアビブに移転させている。東エルサレムを占領したことで、イスラエルはエルサレム全体をイスラエルの首都と主張するようになったが、国際社会はこれに賛同しないという構図が続いてきた。その間にエルサレムではユダヤ系人口が減少し、逆にアラブ系人口が増加を続け、解決策としてイスラエル政府が打ち出したのがエルサレム周辺にユダヤ系市民(多くはロシアなどからのユダヤ系移民)を入植させることであった。しかし、この入植地政策がイスラエルとパレスチナの間に存在する問題をより複雑にしてしまった。