歌、ダンス未経験の14歳でKARA加入→ブレイク→女優→再結成→2度目の契約…30歳・知英が語った日本との「絆」
流ちょうな日本語でインタビュー対応
韓国ガールズグループ・KARAは今夏に東京、大阪でコンサートを行い、再結成後に組まれた全日程を終えた。メンバー5人は個人活動を再開。30歳の知英(ジヨン)は芸能事務所・スウィートパワーと3年ぶり2度目の契約を結び、日本でも活動している。歌、ダンス未経験のまま14歳でKARAのメンバーに抜てきされて16年。切っても切れない日本との「絆」を聞いた。(取材・文=大宮高史/構成=柳田通斉) 【写真】ドキッとさせる知英の全身写真&別カット 都内にあるスウィートパワーのスタジオ。記者が到着すると、知英は事務所スタッフと談笑していた。同事務所とは、KARAを脱退後の2014年4月から19年3月まで契約。5年以上の時をへて、今年11月1日からの再契約に至った。 「私にとってはKARAの再結成からいい流れが来ています。韓国の事務所にも『日本でもお仕事がしたいです』とお話をして、こちらでもスウィートパワーの社長さんに迎え入れてもらいました。もう人生の半分以上を芸能界で過ごしてきましたが、KARAに入って、日本で5年暮らして韓国に戻って……と、段階を踏む度に人生が開けていく感覚があります」 日本で暮らした5年間は、俳優活動を軸として日本人の役を演じていた。極力、韓国語なまりを消す努力もしていた。17年には、東海テレビ・フジテレビ系『オーファン・ブラック~七つの遺伝子~』で連続ドラマ初主演。孤独を抱えたシングルマザーと彼女そっくりの女性など1人7役を演じ切った。そして、19年12月からはアジアでの活動を広げるため、韓国の事務所・キーイーストと契約。20年春からKARA再結成の22年9月までは、コロナ禍もあって来日の機会を失っていたが、取材には日本語で対応。かつてと変わらず、流ちょうにさまざまな言葉を繰り出した。 「『よく日本語を忘れていなかったね』と言われますね。あちらでは日本語はほとんど使っていなかったのに、日本に戻ると自然に言葉が思い出せます。不思議です」 知英がKARAに加入したのは14歳の時だった。 「親せきのお姉ちゃんが、KARAの事務所の練習生でした。ちょうどKARAの新メンバーオーディションのタイミングで事務所が合う子を探していて、私のことを『若くて経験もないけど、明るくてかわいい子だよ』と推せんしてくれたんです。練習生ではなかったですし、ダンスも歌も未経験。自分でもなぜ受かったのか分かりません。でも、KARAのお姉さんたちと会った時に『(私たちと)雰囲気が似てるね』とよく言われましたから、そこが決め手だったかしれません」 加入から1か月。その間、厳しいレッスンを受けてのデビューとなった。 「若かったですし、とにかく『メンバーに迷惑はかけられない』と思って練習するだけでした。でも、お姉さんたちはかわいがってくれて、自然に実の姉妹のような仲になっていましたね。甘えさせてもらいました」 KARAは少女時代とともに、日本で第1次K-POPガールズグループのムーブメントを巻き起こした。日本デビュー曲『ミスター』でリズムに合わせて腰を振る「ヒップダンス」も流行。多くのファンを獲得したが、知英は14年にKARAを脱退した。その後、練習生であるホ・ヨンジが加入。新生KARAが動き出すも、グループは16年に解散状態となった。そして、6年の時をへて2022年に再結成。それは、かつてと変わらないメンバーの仲の良さやいくつかの幸運があったという。 「ヨンジちゃんが、(解散状態後も)事務所に残ってKARAの名前を守ってくれていました。権利関係の話もしやすかったですし、彼女を中心に5人で集まれる場所が自然にできていました。お姉さんたちもあの頃と同じくきれいで、ヨンジちゃんは愛きょうがあってかわいくて。5人の意思が一つになれて、これからも何があっても大丈夫だと思えました。本当に奇跡でした」 そして、5人は韓国と日本で音楽番組に出演。年の離れたガールズグループとの共演する機会も多かったが、彼女たちとの「違い」は冷静に受け止めていた。 「今の人たちは練習生の段階でプロフェッショナルですし、ハイレベルで意識も高いです。私たちの頃は東京ドーム公演が目標でしたが、世界ツアーも当たり前の時代になりました。そんな人たちがいるので、『KARAの音楽面も今の感覚に近づけた方がいいのかな』と思いましたが、5人で話し合って『KARAらしい曲を歌って、KARAにしかできない音楽を続けていこう』と決めました」