30年間、連れ去られた夫や子を待ち続けるトルコの女性達 治安当局が拘束か、クルドや社会主義者が標的
1990年代のトルコで、非常事態宣言下で住民が治安当局に拘束され、そのまま行方不明となる事案が相次いだ。突然失踪した息子や夫と再会を願う母親や妻らが、イスタンブールの広場で毎週続けてきた座り込み集会が千回を超えた。真相解明を信じて「絶対に諦めない」と訴える。年を重ねる母親らに代わり、子や孫の参加も増える。(共同通信イスタンブール支局通信員 安尾亜紀) 2024年5月下旬の土曜日、広場には千人近い人々が座っていた。皆、名前と年が入った顔写真を手にしている。「土曜日の母たち」と呼ばれる集会だ。 主催する「人権協会」のセブラ・アルジャンさんが「愛する家族は二度と帰ってこなかった。私たちは千回も訴えている」と声を張り上げた。 トルコでは1980年のクーデター後、軍の影響力が強まった。1990年代にはクルド労働者党(PKK)と衝突が激化。クルド人が多い南東部は2002年まで非常事態宣言が維持された。治安当局はクルド人や社会主義者の男性を多数拘束した。人権協会によると、そのまま姿を消した人は1500人近くに上る。後に遺体で見つかる人もいた。
座り込みは1995年に5人で始まった。警察が介入し、中断した時期を除き、毎週開催されてきた。同じ境遇の家族が次々と参加し、毎週百人前後、節目には千人が集まる規模になった。 ハヌム・トスンさん(58)はクルド人が多い南東部ディヤルバクル出身だ。故郷の村はテロ掃討作戦の名の下に治安当局に「焼き打ち」された。1994年にイスタンブールに引っ越したが、1995年に夫フェフミさん=当時(35)=が友人と共に、私服警官と見られる2人組に車で白昼、拉致された。 ハヌムさんは自宅アパートのベランダから見ていたが、警察署には「記録がない」と言われるだけ。検察や刑務所も回ったが、夫の行方は分からなかった。途方に暮れ、たどり着いた先が「土曜日の母たち」だった。 治安当局による拘束・行方不明問題は国会でもたびたび取り上げられてきた。家族は殺害されたと訴えるが、時効を理由に捜査は進まず、多くが闇に埋もれたままだ。
近年、母親や妻たちの高齢化が進む。体調を崩し集会に参加できない人も多い。ハヌムさんも持病を抱えるが、千回目となった集会で夫の写真を手に最前列に並んだ。「私は絶対諦めない。犯人が裁きを受け、正義がもたらされるまで」。近くには成人した子どもたちも座っていた。