黒幕介入の阪神監督人事に暗黒時代再来危惧
黒幕が存在した阪神の暗黒時代
1989年の故・村山実氏の監督解任時には、後任監督として内定していた一枝修平氏は、本社と「黒幕」と呼ばれる外部の人間がフロントの頭ごしに動き、組織として機能していない体質に嫌気がさして監督を辞退した。“春団児”川藤幸三氏が、「また黒幕がうじゃうじゃ動いとるんか!」と、記者席で怒りのあまり声を荒げていた姿を覚えている。 3度目の登板となった1998年の吉田義男氏の監督退任時には、球団サイドは、近鉄の名将、故・仰木彬氏を次期監督候補に考え、内々に打診していた。 だが、一方で最終人事権を持つ故・久万俊二郎オーナーが、スポーツ紙のトップ屋のような記者と組んで、野村克也監督を擁立した。このときも、今回の監督人事に似ていて、久万オーナーの動きを球団サイドはしばらく知らなかった。 続く2002年の故・星野仙一氏の監督の招聘も球団フロントはタッチせず、久万オーナーが、また「黒幕」と言えるスポーツ紙の連中の推薦と協力を得て実現した。 「黒幕」の存在イコール、球団を信用せず、フロントの頭ごしに行う本社主導の人事だった。 だが、三顧の礼で迎えた星野監督が、強く球団改革を迫ったため、久万オーナーと星野監督のホットラインを軸にフロントは、人も入れ替わり一枚岩に変わりはじめた。 2003年に優勝、ドラフトの裏金問題で2004年に久万オーナーが退任して、その後、手塚昌利、宮崎恒彰、坂井とオーナーが移り変わる中、本社が“財布の紐”と監督人事の最終的なイニシアティブを握るという組織のあり方は変わっていないが、本社と球団は一本化、球団社長の南信男氏が、阪急阪神ホールディングスの取締役に就任して、ある程度の発言力も生まれ「黒幕」という存在は消えた。 坂井オーナーは絶対権力者であったが、本社と球団でうまく意見調整ができるようになった。 監督経験者の中村勝広氏が亡くなるまで球団初のGMというポジションも新設されていた。 岡田彰布監督が、2005年に優勝して以来、昨年まで12年間に最下位は一度もなくAクラスは7度。甲子園の観客動員も右肩上がりになった。 だが、今回、暗黒時代が蘇った。 10年以上の月日をかけて「黒幕」の介入しないガバナンスが整備された組織になりつつあったが、また藤原次期オーナーが球団を信用しない本社主導の暗黒時代の組織に戻してしまったのである。けしかけた外部の「黒幕」は存在しなかったが、野球界の常識を知らない藤原次期オーナーが球団フロントの梯子を外して行った今回の監督人事は、球団内部に不信感を生み出しファンの反感を買った。金本監督の続投を前提に和田氏に声もかけていたのだから阪神外の人間まで巻き込んで迷惑をかけたことにもなる。