沖縄でたびたび浮上する「独立」論 背景と歴史は /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
2014年秋にも予定されている沖縄県知事選挙に「沖縄は琉球として日本から独立すべき」と主張する男性(48)が無所属で立候補する意向を表明しました。選挙は仲井真弘多現知事が出馬するかどうかハッキリせず、他に県内の市長の名が取り沙汰されており「独立」を訴える男性が当選するかどうかは分かりませんが、「独立」という言葉にギョッとした方もいるでしょう。実は沖縄(琉球)独立論は「本土」との摩擦があるごとにわいては消える一種の「ロマン」。ただ今の状況は男性の当落に関係なく違った側面を見せているとの声もあります。 【画像】なぜここまでこじれた?「普天間移設問題」の年表 最初に断っておくと「独立」を訴える声は現在の沖縄でもわずか。琉球新報が2011年に行った「日本における沖縄の立場をどうすべきか」という調査で「独立」は4.7%に過ぎず、「日本の一地域(県)のまま」が61.8%と圧倒的多数。「国内の特別区(自治州)など」は15.3%です。以下に述べるロマンや「本土」にわかってもらえない差別感を持つタイミングで「独立」論がちらほら出てくる傾向があります。
ロマン派が抱く「琉球王朝」の時代
そもそも今の沖縄県一帯は独立国だった過去があります。1429年に尚巴志(しょう・はし)が琉球を統一し「琉球王国」が建国されました。こしょうなどの南海産物を筑前(福岡県)博多や薩摩(鹿児島県)坊津へ送る中継貿易で栄えましたが、ポルトガル船の直接進出で利益を奪われ、1609年に薩摩の島津家久が国王の尚寧を捕らえて属国化した後も形式上は独立を維持します。 明治に入って1872年に王国は日本の「琉球藩」とされ国王は「藩王」となった後、79年には藩も廃して沖縄県を設置し、正式に日本の一部となりました(琉球処分)。この時はかなりの人が「独立」維持を訴えました。「ロマン派」は過去の歴史を懐かしんで「もう一度独立してみたい」と考えます。よくいわれる「居酒屋独立論」です。
戦前から講和条約までの扱いを憤る「戦前・戦後派」
日本の一部となっても衆議院議員選挙法の施行が遅れるなど「本土」とは違う扱いを受け、1945年には米軍と地上戦をともなう攻撃を受けて10万人以上がなくなりました。今の日本の領土で地上戦が行われたのは他に硫黄島のみ。戦後は敵であったアメリカの支配を受けるも、これは「本土」とて同じ。支配形態はいくらか異なったので日本と同じにしてほしいという声はありました。 衝撃的だったのは1951年のサンフランシスコ講和条約締結で「本土」が独立を回復したのに対して沖縄が引き続きアメリカの信託統治制度下に置かれると決まった時です。条約が効力を持った52年4月28日は「屈辱の日」でした。その日を2013年に「主権回復の日」と政府主催の式典が開かれた際には抗議集会も行われました。 見捨てられた以上「独立」を目指そうとの声はサ条約施行以後にあるにはあったものの大勢は1960年に結成された沖縄県祖国復帰協議会など「日本復帰」へと集約されていきます。それは72年に果たされました。