「核の傘は破れ傘」平和への祈りを折り鶴に託す 待ちに待ったノーベル平和賞 現地で被爆者が核廃絶への想い語る【長崎発】
10日のノーベル平和賞の授賞式に出席する被爆者などがこのほど長崎市で結団式を行い「“チーム長崎”一丸となって頑張りたい」と意気込みを語った。長崎の被爆者からは平和の祈りを込めた折り鶴を託され、代表団が現地で核廃絶を訴える。 【画像】被爆者から託された折り鶴はノルウェーへ
待ちに待ったノーベル平和賞
結団式には、ノーベル平和賞に選ばれた日本被団協の地方組織・長崎被災協の田中重光会長(84)と横山照子副会長(83)のほか、授賞式にあわせてノルウェーを訪問する被爆者や被爆二世、高校生平和大使など、あわせて13人が揃った。 田中会長は「待ちに待ったノーベル平和賞。核兵器も戦争もない世界にしていくために、私たちはオスロで訴えていき、帰ってきて、運動を続けていきたい」と力強く語った。高校生平和大使も2人が現地へ赴く。 長崎東高校2年の津田凛さんは「被爆者や被爆体験者の方々の思いも引き継ぎつつ、私たち高校生、若者世代が後世、世界に伝えていけるきっかけ、スタートになる派遣にしたい」と抱負を述べた。
平和への祈りを折り鶴に託す
11月末、ノーベル平和賞授賞式にあわせて、平和で核兵器のない世界への思いを込めた「折り鶴」が被爆者からノルウェーに代表者を派遣する長崎被災協に届けられた。 170羽の折り鶴を託したのは、長崎市の恵の丘長崎原爆ホームに入所する被爆者3人だ。長崎被災協の取り組みを知った原爆ホームでは、入所する被爆者170人分の折り鶴を10日ほどかけて作った。 被爆者の平山恵美子さん(90歳)は11歳のとき、爆心地から約2km離れた稲佐町(2丁目)で被爆し、自宅は全焼した。その後両親の地元・五島に引き揚げた。平山さんは「戦争があったため私たちも苦労した。原爆がなければ長崎で幸せに暮らしていた。だからもう嫌だ。そんな目に遭わせたくない」と語る。 「心を込めて折りました」と言って、長崎被災協へ鶴を託した。 長崎被災協は、ノーベル平和賞受賞後、核兵器廃絶に取り組む人の輪を広げようとリーフレットを製作した。 このリーフレットに被爆者が折った折り鶴を付け、現地オスロで出会った人たちに手渡す予定だ。リーフレットには被爆直後の長崎の写真のほか、運動を支えてきた被爆者のスピーチやメッセージなども添えられている。 長崎被災協の柿田富美枝事務局長は「長崎の原爆がどんなものだったのか、核兵器はなくさなくてはならないということをしっかり受け取ってほしい」と願う。 長崎被災協にはこれまでに県内外から963羽の折り鶴が届けられた。リーフレットは300部用意していて、ほかの折り鶴はレイにして授賞式後のパレードで首にかける予定だ。「平和が続くように願って鶴を折った」。そんな被爆者の想いを、現地で多く人に届けたいとしている。