阪神と野球を結び付けた「香櫨園」の新事実 甲子園43個分の広さ&試合に10万人動員の大熱狂
今年8月で開場100周年を迎えた甲子園球場を所有する阪神電鉄と野球との接点になった、現代でいうアミューズメントパーク「香櫨園(こうろえん)」に新たな事実が判明した。運動場内に球場を造り、1910年10月に開催された関西初の国際試合、早大―シカゴ大の3試合。従来8万坪とされた香櫨園が実は50万坪だったことでスムーズな建設が進み、3日間全て野球日和だったこともあって推定10万人を動員。野球熱が盛り上がった。 【写真あり】藤浪晋太郎 阪神選手らとのプライベートショットに「すげ~メンバー」 西宮市教育委員会事務局の足立年樹氏によると、昨年2月に全76ページからなる1909年発行の「香櫨園案内」(西宮市立郷土資料館所蔵)が見つかった。同資料館が古書店から情報を得て購入し、阪神電鉄の社史にある球場の地形に関する描写などと照合。従来8万坪とされた香櫨園の広さが甲子園球場43個分、50万坪もあった。 香櫨園案内には「香櫨園全図」があり、当時東京と京都にしかなかった動物園、ボートで水上へ突入する絶叫マシン「ウオーターシュート」、回転木馬などが配置。運動場も二つあった。 早大―シカゴ大の関西開催に向け、大阪毎日新聞(大毎)が早大と交渉する一方で試合会場を物色したが、適当な球場がなかった。大毎からの打診に阪神電鉄が応じ、経営参画した香櫨園の第一運動場内に、わずか2週間で野球のグラウンド(右翼約90メートル、左翼約170メートルの長方形)を造り上げた。時の技術長で後に専務として甲子園球場建設を指示した三崎省三が担当した。 試合は反響を呼び、開園と同時期に開業した香櫨園駅経由で推定10万人を動員。「女性が来て驚いたとか、阪神電車が満員になったという新聞記事もありました。球場まで長蛇の列ができたそうです」(同氏)。当時は1両編成で座席に40人、定員80人だったことから通勤列車なみの混雑ぶりが想像できる。 同氏は大阪管区気象台に開催日の天気も確認。10月25日は最低気温13・2度、最高22・6度でおおむね晴天。26日も最低10・7度、最高21度でおおむね晴天。27日は最低7・7度、最高20・7度で快晴だった。前後の24日が終日煙霧で日照時間48分、28日は曇りで同72分で天も味方した。「雨ならどこまで動員できたでしょう。(阪神電鉄から)野球はもうかると判断されたと思う」と推測する。 香櫨園の名前も一帯の土地所有者、砂糖商・香野蔵治と櫨山(はぜやま)慶次郎に由来するというのが通説で、西宮市史に記載された。ところが、同じ櫨山姓でも慶次郎は株の仲買人で、同時期に活躍した香野と同じ砂糖商・喜一と突き止めた。園内にあった恵美須ホテルが現在のカトリック夙川教会となり、当時の文書などに両者の名前があった。現在、香櫨園駅にある銘板にも香野と喜一の名前が記されている。 3試合のための球場建設が、後の歴史の歯車を動かす一因になったかもしれない。 (筒崎 嘉一)