既存の常識を破壊する「変革プレーヤー」になれ
──前々回の記事:人は必ずしも合理的に意思決定するとは限らない(連載第55回) ──前回の記事:人や組織を同質化させる3種類の圧力(連載第56回) ■非市場戦略で、制度に働きかけろ 我々はどうやって、レジティマシーの普及と衝突の時代を勝ち抜くべきなのか。これは制度理論の最前線の問いであり、いまも世界の経営学者によって多くの研究が生み出されている。以下では、私見を挟みながら、筆者が特に重要と考える2点を議論したい。 第1は、アイソモーフィズムの3つの圧力の中でも、特に「強制的圧力」に働きかけることだ。すなわち、政府・行政・司法への戦略的なアプローチである。 新興国では、単に安くて高機能の製品を売ろうとしても、政治的なレジティマシーを獲得できなければ、許認可ももらえず、裁判で海賊版企業に敗れ、政府の仕事は受注できず、そもそも勝負にならない。したがって、立法・行政・司法に積極的に働きかけ、彼らが持つ強制的圧力を自社に有利な方向に導く必要がある。極端に言ってしまえば、新興市場では賄賂もその手段の一つととらえられる。 もちろん、賄賂は倫理的にはすべきではない。しかしそれ以外の手段、例えばロビイングやCSR活動を巧みに使って政府部門にアプローチし、フィールドを自社に有利な方向に持っていくことは、新興市場で極めて重要だ。これを「非市場戦略」(non-market strategy)と呼ぶ。 これはいま、世界の経営学で最もホットな研究テーマの一つだ。例えば、筆者がニューヨーク州立大学バッファロー校の共同研究者たちと2016年にSMJに発表した研究では、インド企業157社のデータを使った統計解析より、インド企業はライバルの企業のタイプによって、賄賂を行うかを戦略的に判断する傾向を明らかにしている※6。 この非市場戦略について、極度に潔癖な日本企業は新興国で立ち後れている、と筆者は認識している。一方で、一部の欧米企業は巧みに政府部門にアプローチしている。例えば米IBMは、非市場戦略の専門部隊を持っていると言われる。新興市場で新事業を展開する時は、企画・戦略部門が製品・サービスなど市場ベースの「表向きの」戦略を立て、一方で非市場戦略部門が連動して、政府部門に様々な「裏方の」アプローチを行っているのだ。カナダの重工業メーカー・ボンバルディアも、新興市場でCSRを活用して政府や公共セクターと緊密な関係をつくり、その国の鉄道車両などの市場に入り込んでいると聞く。 同じことは、人材登用にもいえる。例えばフェイスブックは近年、政府・司法分野のキーパーソンを次々に採用している。同社が2016年6月に採用したのは、在米イスラエル大使館所属でイスラエルのネタニヤフ首相のアドバイザーだったジョルダナ・カトラー氏だ。同年5月にも、米治安判事のポール・グレアル氏を登用している。グレアル氏はもともと知財分野で高名で、有名なアップル=サムスン電子間の訴訟対決も担当したほどの人物だ。 そもそも同社のCOOシェリル・サンドバーグ氏も、もともとは当時のローレンス・サマーズ財務長官をサポートする仕事をしていた。こういった登用は、対政府・対司法の交渉の矢面に立って、非市場戦略を行うために有効となる。このように、非市場戦略を推し進めて政治的なレジティマシーを獲得する役職を、GR(government relation)と呼ぶ。日本企業はメディア対応のPR(public relation)、投資家対応のIR(investor relation)には多くの人材を割くが、GRには人材を割かないところがほとんどだ。 さて、この非市場戦略は「政府部門を味方につける」という、言わば「グレーなものを巧みに利用する」というアプローチである。それに対して、そもそも「既存の常識に挑戦し、それを破壊して変えてしまう」というアプローチもある。グレーを自分色に塗り変えてしまおう、ということだ。これを「インスティテューショナル・チェンジ」(institutional change)と呼ぶ。そしてこの旗振り役を、「インスティテューショナル・アントレプレナー」(institutional entrepreneur)と呼ぶ。いま世界の経営学で、非常に注目されている視点である。 ■インスティテューショナル・アントレプレナーが世界を変える インスティテューショナル・アントレプレナーという言葉自体は、古くは先のポール・ディマジオが1988年に発表した論文ですでに言及していた※7。しかし研究が盛んになってきたのは、2000年代に入ってからだ。制度理論の研究が蓄積されるにつれ、経営学者の間で、同理論の持つ根本的な矛盾を解き明かす必要が出てきたからだ。 そもそも制度理論が予言する世界では、フィールド内でプレーヤーが同質化する。同質化した世界は、安定的だ。しかし逆に言えば、従来の制度理論だけでは「なぜある時、フィールドが大きな変化を経験するのか」を説明できないのだ。現実には、時に我々の社会の常識は大きく変化する。 この矛盾に対して近年の経営学者は、ある特定のプレーヤー(の集団)がインスティテューショナル・アントレプレナーとして、既存の常識を変容させるメカニズムに注目している。ハーバード大学のジュリー・バティラナらが2009年に『アカデミー・オブ・マネジメント・アナルズ』に発表したサーベイ論文では、インスティテューショナル・アントレプレナーを以下のように定義している※8。 We propose a conceptual account that views institutional entrepreneurs as change agents who initiate divergent changes, that is, changes that break the institutional status quo in a field of activity and thereby possibly contribute to transforming existing institutions or creating new ones.(Battilana et al., 2009, pp.67.) インスティテューショナル・アントレプレナーとは、既存のフィールド上の制度を破壊し、したがって既存の制度を変容させ、新しい制度を生み出すような変化をもたらす「変革プレーヤー」のことである、と我々は提示する。(筆者意訳) 成功するインスティテューショナル・アントレプレナーの要件は、まさに経営学者が現在研究中のテーマであり、切れ味のよいコンセンサスはまだ得られていない。先のバティラナのレビュー論文の副題は、"Towards a Theory of Institutional Entrepreneurship"(インスティテューショナル・アントレプレナーシップ理論の確立に向けて)となっている。理論としては未完ということだ。 とはいえバティラナ論文は、これまでの研究の蓄積として、図表4のようなポイントをまとめている。これらの複合的な要件を包括することで常識を覆すことも可能になる、ということだ。 これは筆者の視点だが、図表4の要件を筆者なりに整理すると、インスティテューショナル・アントレプレナーに必要な要件とは、アイソモーフィズムの「3つの圧力」にいかに対抗し、いかにして打ち勝つかで整理できるのではないだろうか。 同質の企業・人・組織で塗り固められたフィールドは、たとえ非効率でも、特定の慣習が常識になってしまう。そこで「それは常識ではない」と訴えれば、既存の常識から恩恵を受けていたり、既存の常識に心理的共感を持っていたりするプレーヤーからの抵抗に遭う。したがってその常識をつくってきた3つの圧力に対抗し、それらを破壊し、みずからの新しい常識を築けるかがカギとなるのだ。