「“いってらっしゃい”という言葉のお守り」LGBTQだけのシェアハウスに20年、助け合いの中で見つけた“本当の居場所”
共同生活のおかげで生きていられた
なにより、本当の家族に話せないことを、理解している人たちの集まりというのが、心強いという。 「以前住んでいた子が、30代で脳内出血を起こしたことがあって、異変を感じ救急車を呼び、病院まで付き添いました。 島根のご両親に連絡し、ほどなく上京してこられたのですが、東京に知り合いもいなかったみたいで、彼が入院している半年間、ご両親はうちで寝泊まりしていましたね」 同居人ながらはがゆいことや、親族でないからこそのエピソードが。 「一緒に暮らして、かつ病院に付き添ったのに、私達は親族ではないので、彼の容体をお医者様から直接聞くことができませんでした。 あとでご両親にうかがったら、私たちの早い対応があったから、最悪の事態にならなかった、と。 結局、彼は高次脳機能障害が残ってしまい、両親とともに帰郷するのですが、ご両親に私たちの対応にはとても感謝されましたね。 彼の入院中、あまりにも人が多い東京で不安を抱えたご両親の日常品の買い物に付き添ったこともありました。 また、ご両親が彼の部屋に寝泊まりすることが決まったとき、住人たちであわてて彼の趣味のものを片付けたのも、いい思い出です(笑)」 たいこんさんも、シェアハウスの同居人には大いに助けられている。 「1998年に十二指腸潰瘍になったときも、2020年に倒れたときも、ひとり暮らしだったら発見が遅れて孤独死をしていたと思います。みんなに本当に助けてもらいました」 2020年に倒れた際は、これでもかという壮絶な出来事が重なった。 「私の母が認知症になってしまい、同居人たちの了解のうえ、シェアハウスで母の介護をしていました。 そんな矢先、私が原因不明の肺炎による敗血症で意識不明になってしまったんです。エクモ(人工心肺)のお世話になるほど重篤な状態でした。 私が入院している間、シェアハウスの同居人たちが母を介護してくれて…。 徘徊や排泄処理など、大変な苦労をかけてしまいました。その当時は私にまだ認知症に対する理解も知識もなかったので、ただ戸惑いと絶望感だけでしたね」 この件があり、同居人たちへの感謝と申し訳ない思いを抱えた彼は、認知症や介護、そしてさまざまな立場の人たちの老後について、真剣に考えるようになったのだった――。 ※後編では、たいこんさんの現在の活動の実態について深掘りする。 PROFILE たいこん(山田泰輔)●1968年生まれ、東京都新宿区出身、新宿区在住。NPO法人コラルト理事、発起人。新宿区の認知症サポーター養成講座講師。 NPO法人コラルト https://colalt.com/ 取材・文/木原みぎわ
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