【下山進=2050年のメディア第41回】離職した看護師はnoteに小説を書いた『ナースの卯月に視えるもの』
たまたま読んだ一冊。今年5月に出た秋谷りんこの『ナースの卯月に視えるもの』(文春文庫)は面白かった。 13年看護師として働いた経験のある著者のデビュー作。 なんといっても、この本の素晴らしさは、看護師の仕事の機微がうまくかけていること。 看護師といっても、どの部門に配属されるかでぜんぜん違う。長期療養病棟に配属された優等生の新人看護師は、おもてに感情をださない。教育役の看護師は悩むが、徐々にその感情がわかってくる。長期療養病棟で、患者がよくなることはめったにない。いかに看取るか、という点が重視される。「私は子供の頃、心臓を治してもらったことをきっかけに看護師になりたいと思いました」「そのことを考えると、どうしようもなく辛いんです」。 著者自身、実習時代に担当していた患者が急変してなくなった経験があることがあとがきで明かされている。 昨日まで一緒に過ごしていた患者さんが、今日にはもういない。頭ではそういうこともおこると理解していたはずだが、「その場でボロボロ泣きました。もう私にできることは何もないと打ちのめされました」と、描かれてきた患者をうしなう時の看護師の感情は、実は著者自身が経験したことだとわかるしかけになっている。 私が6月に出した医療ノンフィクション『がん征服』でも看護師さんに話を聞こうとしたのだけれど、適切な看護師さんになかなかたどりつくことができなかった。ひとり話をきけた人がいたのだけれど、この人は急性期をみる人で、その後のことは、わからない、ということがわかったりした。 登場人物の感情のひだまで入り込むのは、ノンフィクションの場合とてもたいへんだ。 そんなことを考えながらこの本を読んだ。
■『オール讀物』隔月刊化の中で そんな秋谷の作品は支持をえている。一作目は1万2000部から始まったが、現在7刷4万1000部。11月に発売された『ナースの卯月に視えるもの2』も発売5日目で重版がきまった。 秋谷のデビューの経路は、これまでの文藝春秋の小説の登竜門をへていない。文藝春秋の場合、『オール讀物』というかつて娯楽小説の王者と呼ばれた雑誌があり、その新人賞からデビューするというのがひとつのルートだった。『オール讀物』は昔から短編読み切り中心の編集方針だったが、部数の下降が赤字ラインに達するようになると、単行本や文庫にしてグロスで利益をとろうというふうにビジネスモデルが変わっていった。 そうしたときに編み出されたのが、連作短編という手法だった。ひとつひとつは短編として成立しながら、同じ世界観の小説を書くことで、本にしやすい。 しかし、そもそも紙の雑誌にのる小説は、伝統芸能の世界で、新しいトレンドをつかまえにくくなってきた。あの栄光の『オール讀物』もこの6月から月刊から隔月刊になってしまった。そうすれば、赤字が半分になるからだ。 秋谷の『ナースの卯月に視えるもの』も、連作短編の形をとっているのだが、しかしこれは雑誌に連載されたものではないのだ。秋谷は雑誌に連載をしたことがない。 秋谷は、不妊治療と看護職の両立が難しく、体調を崩し、休職の後、看護師の職を2017年にやめている。一時は家に引きこもり、電車にも乗れないくらいに精神的な不調が深刻だった。 そうした中で癒しになり、セラピーにもなったのが、noteというプラットフォームに短い文章を書くことだった。 ■note創業者は菊池寛を意識していた noteについては、このコラムがサンデー毎日に掲載されていた時代にいちどとりあげている。元ダイヤモンド社の編集者加藤貞顕がたちあげたクリエーターのためのプラットフォームだ。だれでもアカウントを開けばnoteに漫画でも小説でもエッセイでもノンフィクションでも発表することができる。クリエーターは自分のコンテンツを有料で課金しようと思えばできるし、無料でも公開することができる。ウェブの無料モデルのニュースサイトのようなうざい広告が入らないので、読みやすい。