長寿研究のいまを知る(9)長寿におけるmTOR阻害薬とカロリー制限の関係
短期間「ラパマイシン」と呼ばれるmTOR阻害薬を使うと寿命が延長することは、酵母、線虫、ショウジョウバエ、マウスなどでの複数の実験で証明されている。では、ヒトではどうか? はやりの「16時間断食」は心臓にとってマイナスなのか そのものズバリの研究ではないが、興味深い研究結果が2014年に発表された。海外論文で、ラパマイシンの誘導体(有機化合物の母体部分はほぼ同じで、一部分だけが異なる物質)である「エベロリムス」と呼ばれる薬を66歳以上の人に少量投与したところ、インフルエンザワクチンに対する反応が20%改善されたことが報告されている。 18年にはそれに続く研究結果が公表された。健康な65歳以上の高齢者264人を対象に、ラパマイシンの誘導体を含む2種類のTOR阻害薬を6週間投与。内容量と阻害薬の組み合わせにより5群に分けて1年間観察して比較した。ラパマイシンの誘導体と別のTOR阻害薬を併合して投与した群は、風邪などの呼吸器疾患を40%減少させ、インフルエンザワクチンによる抗体産生能が上昇したという。 ハーバード大学医学部&ソルボンヌ大学医学部客員教授の根来秀行医師が言う。 「細胞内の栄養状態を監視して細胞増殖・分裂のタイミングを決めるmTORを働かせないようにすると、細胞は栄養不足と判断して分裂に使うエネルギーを節約してオートファジー(自食作用)に振り向けます。すると細胞内ではタンパク質を新たに合成せず、細胞内の不要なタンパク質などを再利用する。その結果、細胞の増殖スピードは緩やかになり、老化も遅くなる。つまり、mTORの活性化を抑えることが寿命の延長に役立つ可能性があるのです」 ■細胞内が飢餓状態に置かれることが重要? そこで思い出されるのが、ヒトはカロリー制限した方が寿命が延長するという考え方だ。 実際、栄養失調にならない程度のカロリー制限を続ければ長生きすることは、さまざまな実験で実証されている。mTOR阻害薬であるラパマイシンがmTORを働かせないようにすることは、カロリー制限をしている状態にするのと同様と考えられる。 「カロリー制限が健康と長寿にどう影響するのかを検証する実験はこれまでも幾度となく実施され立証されています。その結果、酵母、ショウジョウバエ、マウスなど種を超えた、共通の抗老化システムが存在することがわかりました。ヒトにおいても、いくつかの観察研究により、無理のないカロリー制限でも、長寿につながる可能性があることが知られています」(根来医師) 問題は、いつでもどこでも食べ物が手に入る現代において、ヒトが生涯にわたってカロリー制限を続けることは困難だということ。スーパーでのおやつや冷蔵庫のなかのアイスクリームからの誘惑を断ち切るには強い意志が必要だ。 そのため、カロリー制限の影響は短期的な研究とごく少数の経験談でしか語れないのが現状となっている。 そんななか、最近はカロリー制限をずっと続けなくても短期間で繰り返すことでかなりの効果が得られることがわかっている。 「一定時間だけ体を飢餓状態にすることを繰り返す間欠断食が寿命の延長に効果があることがわかりつつあります。間欠断食の方法はさまざまで、1日の食事を8時間以内で取り、残り時間は何も食べない、という方法もあれば、1週間のうち2日はカロリー制限して残りの日数は普通に食べるなどがあります。ある研究では参加者に対して1カ月のうち5日はカロリー制限して残りの日数は普通に食べさせる生活を続けたところ、始めて3カ月で体重、体脂肪、血圧などが低下しました」(根来医師) このときとくに注目されたのはIGF-1(インスリン様成長因子-1)の濃度が低下したこと。 IGF-1はインスリンによく似た化学構造を持つ成長ホルモンの一種で、主に肝臓でつくられる。食べて栄養成分が血中に増加すると検知して各細胞を活性化させる働きがある。 「今までは老化はさまざまなシグナル伝達経路や転写因子などの制御システムが崩壊することで起きることがわかっています。間欠断食はこのIGF-1が関係するシグナル伝達回路に影響すると考えられています。断食中にIGF-1濃度が低下し、食べることを再開した後もその効果が続いていることは、間欠断食効果が続いている間は体内が飢餓状態になるシステムが稼働している可能性があると考えられます」 IGF-1に関係する遺伝子に起きる変化は死亡率やさまざまな病気の罹患率を下げることが知られて、100歳以上が多い家系の女性のなかに多いことが報告されている。 つまり、mTOR阻害薬にしろ、断食によるIGF-1への影響にしろ、細胞が栄養不足と認識させることが長寿につながるということのようだ。(つづく)