日産 スカイラインHT 2000GT-R(昭和48/1973年1月発売・KPGC110型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト072】
戦わずして消え去った幻のケンメリGT-R
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第72回目は、伝説のGT-Rとして今なお語り継がれる、日産 スカイラインHT 2000GT-Rの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】ベースのHT2000GTに比べて全幅は70mm広く全高は5mm低くなっている。トレッドは前/後ともに45mm拡大している。(全8枚)
初代スカイライン2000GT-Rは、黎明期の国内モータースポーツで勇名を馳せた2000GT-Bの後継モデルとして昭和44(1969)年2月に発表された。 発売されるやいなやサーキットに姿を現わし、GT-B以上の常勝マシンになっている。さらに翌45年秋にはホイールベースを短縮した2ドアのHT2000GT-Rにバトンタッチされ、一段と運動性能をアップしてレースの連勝記録を更新する。 昭和47(1972)年9月、スカイラインはフルモデルチェンジを行い、GTとしては3代目にあたる GC110型が登場する。このモデルは「ケンとメリーのスカイライン」と呼ばれ、当初はSOHCのL型エンジン搭載車のみだった。スカイラインのイメージリーダーカーであるGT-Rが新しい衣を被って復活するのは、2000GTの発売から4カ月後のことだ。 型式名KPGC110を与えられた2代目GT-Rは、2ドアHTをベースに作られた。 全体のシルエットは2000GTと変わっていないが、ブラックアウトされた精惇なフロントマスクを採用し、4輪にビス止めのオーバーフェンダーを配している。また、リアエンドには高速域の安定性を高めるためにスポイラーが装備された。当然、ボディ前後に付けられたのは栄光の赤バッジだ。 インテリアも2000GTをベースに、GT-Rのためだけのスパイスを加えたものである。ダッシュボードはアルミパネルに変更され、その中にフルスケール240km/h表示のスピードメーターと、10000rpmまで刻んだタコメーターを組み込んだ。シートも本格的なフルバケットタイプを標準装備している。 エンジンは初代GT-R同様に、サーキットで鍛え抜かれたS20型直列6気筒DOHC24バルブを積む。これを12度傾斜させてボンネットに収めているが、初代とはエキゾーストマニホールドやエアインテークの形状などがわずかに異なる。ボア82.0×ストローク62.8mmのオーバースクエアで、排気量は 1989ccだ。アルミ合金製のヘッドや多球形燃焼室、サイドボルト式のシリンダーブロック、フルトランジスタ・イグナイター、チェーンによるカムシャフト駆動など、基本的な仕様に変わりはない。 仕様は2種あり、ハイオクガソリン仕様は9.5の圧縮比で最高出力160ps/7000rpm、最大トルクは18.0kgm/5600rpmを発生。圧縮比を9.0に落としたレギュラーガ‘ノリン仕様は155ps/7000rpm、17.6kgrn/5600rprnの性能だった。キャブレターはソレックス40PHHを3連装する。 トランスミッションはブルーバードSSS以来、日産の伝統となっているポルシェタイプ・フルシンクロの5速MTだ。2代目 GT-Rではストリートユースを考慮してギア比が高められ、扱いやすさを増している。 サスペンションはフロントがストラット、リアがセミトレーリングアームを踏襲したが、リアにスタビライザーを追加し、リミテッドスリップデフも組み込まれている。ちなみにホイールベースは2ドアHTハコスカGT-Rから40mm延長され、2610mmとなった。ブレーキは、フロント/リアともにディスクだ。 初代GT-Rはサーキットを席巻するために開発された。だが、2代目GT-Rは最速のストリートバージョンたることをめざして設計されている。そのため車重は1145kgと重くなっているし、ガソリンタンク容量も2000GTと同じ55R,に留められた。ギア比もしかりで、ハイギアード化されている。 マニアの注目を集めた2代目GT-Rは、劇的な幕切れで、その短い生涯を終えた。排出ガス対策を理由に、発売から4カ月にして生産が打ち切られたのである。その間に生産されたのは、市販車195台、試作車2台の197台のみというのが定説だ。 この生産台数は当時のフェラーリやポルシェといったスポーツカーよりはるかに少ない。まさに「幻のGT-R」であり、サーキットに足を踏み入れることなく去っていった、悲劇のスパルタンGTと言えるだろう。 ※写真および原稿の一部は「スカイラインGT-R Story & History Volume1」より引用