グループA スカイラインGTS-R【3】グループA対策を施したエボリューションモデル「スカイラインGTS-R」|国内モータースポーツの隆盛 第18回
当時のグループA公認条件は、連続した12か月間に最低5000台以上を生産実績を持つことだったが、その1割にあたる500台以上を生産すれば、チューニング仕様(エボリューションモデル)での公認取得が可能、という一文が設けられていた。 >> 【画像13枚】目には目を、エボにはエボを! 本格反抗を開始したハコの伝説。グループAスカイラインGTS-R もっとも、この規定は高性能市販モデルの開発・量産が可能な余力ある企業に有利な条件で、案の定、真っ先に手を挙げたのはツーリングカーレースの老舗、ヨーロッパ・フォードとBMWだった。フォードはシエラコスワースRS(すぐにRS500に発展)、BMWはM3を作り上げ、参戦と同時にグループA1クラス(シエラ)とA2クラス(M3)を席巻する力の違いを発揮。 パーツ追加公認制度で戦闘力を作り上げていた第一世代のグループAカーは、軒並み戦闘力が消失。ベース車両の段階でグループA対策を施したエボモデルと格の違いは決定的だった。このシエラ、M3が採用したエボモデルを、日本車で初めて実行したモデルがスカイラインGTS-Rだった。 開発担当者の言葉を借りれば、開発時間がなくやれることに限りはあったが、エンジン回りを中心に大径タービン、大容量インタークーラー、専用エキゾーストマニフォールドなどを装備し、空力パーツの追加などと合わせ、グループAレースでより有利に戦えるメカニズムを装備した、となる。 もちろん、その狙いはフォード・シエラの追撃にあったが、日本のモータリゼーション史から見れば、レースのために自動車メーカーが本腰を入れたという意味で大きな価値があった。 GTS-Rのデビュー戦は87年インターTEC。リコーカラーに塗られたGTS-Rに星野一義/アンダース・オロフソンを投入。オロフソンといえば、ボルボを操りスカイラインを子供扱いした張本人である。理論的で理知的なドライビングには定評があり、その後しばらく日産の主力を務めた人材だ。 このレースには、フォードワークス(エッゲンバーガー)がテキサコカラーのシエラRS500、BMWワークス(シュニッツァー)がM3を持ち込み、結果的にこの2車種で上位8台を独占した。が、ワークス勢を相手に2位に食い込んだ長坂尚樹/アンディ・ローズ組トランピオ・シエラの活躍は、ヨーロッパ勢を驚かせるのに十分だった。 注目されたGTS-Rは、アクシデントもあって中団での完走に終わったが、存在感のアピールを狙って5番手の予選タイムを叩き出した意地は、その後の可能性に大きな期待を持たせていた。まさに、日産がシエラ、M3のエボモデル勢に対し、同じ土俵に上がって真っ正面から挑戦状を突き付けた瞬間、と言ってよかった。 [nextpage title=“次ページへ続く 。1989年シーズンに4勝(リーボック3勝、カルソニック1勝)したGTS-R”] GTS-Rは、翌88年シリーズから本格参戦。開幕戦から車両の準備が整ったのはニスモ車のみだったが、オロフソン/亜久里組が開幕2連勝。第2戦からカルソニック(和田/北野元)、リーボック(長谷見/高橋健二)、ヂーゼル機器(関根基司/都平健二)と台数が増え、終わってみればニスモ車がシリーズ2位を獲得。熟成の年だったが、とくに懸念のあったエンジンの仕上がりがレースごとに良化を見せていったことが大きな収穫だった。 そして89年。チェリー以来「ハコレース」から遠ざかっていた星野が復帰。シエラ対GTS-Rの戦いに加え、長谷見、星野の頂上対決もポイントとなるシーズンとなった。 それにしても、メーカーが本腰を入れるとさすがにその底力は強大で、あれほど強かったシエラが全6戦中で2勝しか挙げられず、しかもその1勝はインターTECでのフォードワークスだったから、シリーズの主導権は完全に日産が握っていたことになる。 なかでも、特筆すべきは長谷見/オロフソンのリーボックスカイラインで、第3戦の筑波から第5戦の鈴鹿まで3連勝。これがドライバータイトル獲得に直結したが、GTS-Rは星野/北野カルソニックの1勝も加えて4勝したものの、メイクタイトルはフォードが獲得。 生産社のタイトルが重要視されるグループAレースであるだけに、日産としては大きな心残りとなったが、果たせなかった願いは、翌90年登場の新鋭GT-Rに託されていた。
Nosweb 編集部
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