1988年シーズンに熟成を進めたGTS-Rは、1989年シーズンに4勝(リーボック3勝、カルソニック1勝)を挙げ、長谷見/オロフソン組がドライバータイトルを獲得。エボモデルの投入によって勝ち取ったタイトルだけに大きな意味があった(Nosweb.jp)
グループA スカイラインGTS-R【3】グループA対策を施したエボリューションモデル「スカイラインGTS-R」|国内モータースポーツの隆盛 第18回
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