義理人情は日本人の特色...言語に表れる「思考の傾向」
日本人は明言を避け、遠回しな表現を好みがちです。そんな日本人の言葉の特徴は、思考にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが紹介します。 【解説】調査で判明した「本当に効果的な勉強法」 ※本稿は、外山滋比古著「やわらかく、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
アイ・スィンク......はてれかくし
外国人と英語の会話をする日本人は、二言目には<アイ・スィンク......>とやっている。<われ考えるに......>を文字通りにとれば、ずいぶん思索的な民族のように思われるかもしれないが、そうではない。 実は考えているのではなくて、断定をさけて、表現に丸味をもたせる言いまわしの「......と思う」を英訳したまでのことである。一種のてれかくしの措辞である。 『日本語の論理』
「考え」ないで、「思う」日本人
われわれ日本人は英語でいう<アイ・スィンク......>に相当する心的活動にはむしろ不得手な民族である。「考え」ないで、「思う」人間であると言ってもよい。 『日本語の論理』
伝え方には無関心
われわれほど言葉のことを気にする民族もすくないのではないかと思われる半面、これほど言葉の味わいに鈍感な社会も珍しい。 何を言っているのか、思想には目の色を変えるが、それがどのように表現されているかについての関心ははなはだあいまいである。つまり、言葉についてスタイル(様式)の感覚がないのだ。 『日本語の感覚』
集めるのではなく、うまく散らす
わが国には俳句という独特な様式がある。その俳句には切れ字というものがあって、言葉を切断し、言葉を散らそうとする。集中するのではなく拡散の方法である。 似たことは囲碁にも見られる。下手なものは石を不必要に集めたがるけれども、上手は石をうまく散らす。日本文化の点的構造を暗示する現象としてよかろう。 『日本語の感覚』
読み手の心に委ねる
芭蕉の有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」にしても、「古池や」「蛙飛び込む」「水の音」という3つの点から成っていると見ることができるでしょう。 「古池に蛙が飛び込んだら水の音がしました」というセンテンスとは、ベースにある論理が違います。「古池」「蛙」「水の音」がそれぞれひとつの点として世界をもっている。それを読者が頭の中でつなげたときに、そこに書かれていない意味が生じる仕掛けになっているのです。 『考えるとはどういうことか』