「拝み屋」が村人からの依頼で呪いをかけることも…独自の呪術信仰「いざなぎ流」の超貴重な証言とは?
ついに“最後の太夫”と対面
中尾集落から別府地区に戻り、車を走らせること40分ほど、神池地区にひとりの老人が暮らしていた。年齢は当時97歳。いきなり訪ねたにもかかわらず、老人は元気な声で私を迎えてくれた。 「わしが最後じゃろうな、しっかりと修行したのは。昔は村の中に行場(ぎょうば)があって、真冬に滝に打たれたりして、精神的な修行をしたもんじゃよ。今じゃ誰もやらんな。精神を磨かんで、ただやり方を形だけ真似るようじゃ、法を使っても効かないんじゃよ。昔の行者は、岩を割ったりそうしたことができたんじゃ」 昔は各集落に2、3人の太夫がいたというが、時の流れの中でその数はどんどんと減っていた。 そもそも物部村にいざなぎ流の信仰が根強く残ってきたのは、この土地が山間部の僻地(へきち)だったことが大きな理由である。人々が病気になっても、この山の中に医者はなく、太夫の祈祷が薬代わりとなった。私は、かつてネパールの山間部で、ゲリラの取材をしたことがあったが、彼の地も医師などはおらず、人々の病気を治すという祈祷師がいた。 「昔から祈れ、くすれ(薬を飲ませろ)と言って、まずは祈ってもらう。それでも治らんかったら医者へ連れていく、それがここでのやり方だったんじゃよ」 病気以外にも狐憑きや犬神憑きなどの、かけられた呪いを解くのも太夫の役目だった。 「犬神憑きだという人が来ると、ワンワン吠えるんじゃよ。狐の場合はコンコン言うし、蛇の場合は蛇みたいに這うんじゃよ。憑き物は、祈祷じゃないと駄目なんじゃ。心の病気はいくら薬を飲んでも治らん。祈祷は言葉で心の問題を治す。医者に掛かっても治らないものが祈祷で治るんじゃ」
「呪いを防ぐためには、掛け方も知ってなくちゃならん」
人の心を扱ういざなぎ流では、人の心の闇も扱ってきた。私は呪いを行う太夫の存在についても尋ねた。 「それは人間の常じゃけんね。人を呪ったりする太夫もおったよ。わしも頼まれたことがある。わざわざ東京から訪ねてきてな。わしらは呪いを防ぐために呪いの掛け方も知ってなくちゃならん。だから人を呪おうと思えばできるんじゃ。だけどな昔から、人を呪わば、穴二つてな、相手の穴だけでのうて、自分の穴も掘らなきゃいけんのよ。結局は自分に返ってくるんじゃ。この世の中じゃ人を殺したら罪になる。呪いも同じじゃ、神様が見てるんよ」 かつて、人々は闇を畏(おそ)れ目に見えないものを敬い生きてきた。それゆえに太夫の言葉や祈りといったものが、人々の病を治してきた。時代が移り、一見テクノロジーの進化とともに太夫の存在価値は薄れている。ただ、人間の心の闇は消えることはない。昨今のネット社会を見ていると、むしろ闇が広がっているようにも思える。 人間の心の表も裏も、美しさも、汚らしさも見つめ続けてきた太夫は、穏やかな口調でしみじみと言う。 「人間が一番難しいぞよ」 *** 『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版)では他にも、江戸時代の飢饉で全滅した村の壮絶な言い伝え、インドで体を売って帰ってきた「からゆきさん」のいた村、姥捨山で老人に指さされた石の哀しき正体など、八木澤さんが自らの足で全国を取材した19の現場をオールカラーの写真で克明に伝えている。 八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年、神奈川県横浜市生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランスとして執筆活動に入る。世間が目を向けない人間を対象に国内はもとより世界各地を取材し、『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『黄金町マリア』(亜紀書房)『花電車芸人』(角川新書)『日本殺人巡礼』『青線』(集英社文庫)『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』(ちくま新書)などがある。 協力:辰巳出版 辰巳出版 Book Bang編集部 新潮社
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