いま最も注目される時代小説の書き手・砂原浩太朗が語る 新作『浅草寺子屋よろず暦』の執筆の背景
著者自身、登場する子どもたちからエネルギーを貰った作品
東 主役をふくめ、登場する人物の仕事はどうやって選んだんですか。 砂原 町場らしく、威勢のいい魚屋とか、女性たちのファッションリーダーにもなる錺職人とか、なるべくバリエーションを持たせるよう心がけました。今までの作品は土地や血のしがらみを描くことが多かったのですが、今回は「人と人との縁」みたいなものをしっかり書いていこうと思いました。主人公である大滝信吾の行動原理はシンプルで、周りの人たちには不幸になってほしくないという思いなんです。生徒もその親も、自分の親族も、お世話になっている住職も苦しんでほしくない。大義や正義を振りかざすのでないところが現代風かもしれませんね。読者にも共感してもらえるんじゃないかな。 東 自分は旗本の妾腹だけど、腹違いの兄との関係も良好で、不幸な目にあまり遭ってない。それだからでしょうか、信吾は明るい。 砂原 やはり、子どもたちの相手をしてエネルギーを貰っているからでしょうね。冒頭の三社祭のシーンなどは、まさに「ザ・浅草」ともいうべき熱気に満ちています。 東 三社祭で始まることで浅草の風景が目に浮かびます。連作短篇の構成は最初から考えていたのですか。 砂原 大まかにはあったんですが、この作品に限らず、書いていくうちにどんどん変わっていきますね。本作でいうと、裏社会の元締め・狸穴の閑右衛門と信吾を最後に対決させる、ということは決めていました。あとは各話の主人公になる子どもを配置して、徐々に閑右衛門との距離を縮めていくようにして。ラストの対決シーンは大好きな歌舞伎の大詰めのイメージです。 東 この小説のこと、すごく楽しそうにお話しされますね。 砂原 ぼくも作中の子どもたちからエネルギーを貰ったんでしょう。書いていて楽しかった場面やエピソードも多々ありますしね。たとえば第五話のミステリー的な展開なんて、とくに気持ちよかった。寺子屋の大家さんである住職・光勝の素姓は最終話の一つ手前で明かすと決めていまして。 東 あのあたりを読んでいると、ドラマ化したらどの役者がいいか考えてしまいました。 砂原 浅草寺や三社祭、町場の風景は絵になるし、寺子屋もイメージを描きやすい。キャスト談義は楽しくていいですね。 東 「御膳奉行」という仕事も初めて知りました。 砂原 三百五十石の旗本って大身というほどの石高じゃないのに、将軍さまの食を差配しているのは面白い。その次男坊だし、どこか親近感があるでしょう。 東 確かに身近な感じがします。町の娘が憧れてもおかしくない。 砂原 第二話で妾腹だとカミングアウトして、周りとの距離がいっそう縮まったんじゃないかな。身近な先生という造型にしたのは、学園ドラマの影響もあるかもしれません。信吾のまわりには本当にいろいろな人がいる。しっかりした女の子もいるけど、だめ親父も登場したり。でもみんなが何かしら、その人なりの役割を果たしている、というのは心地いいですよね。 東 終盤になって「おお、こうきたか」と膝を打ちましたよ。スカッとしましたね。 砂原 ありがとうございます。結末に関することなので、ここでは言えませんが(笑)、ラストの仕掛けも書きながら決まっていったところです。ああいうふうにうまく収まると、書いているほうも気分がいいです。 東 女性が活躍するのもカッコいい。