【山手線駅名ストーリー】 寛永寺や博物館だけではもったいない!「前方後円墳」「頭だけの大仏さま」など穴場スポットもある上野の魅力
上野公園に前方後円墳があるって知ってた?
名所として挙げたいのは、まず寛永寺清水観音堂だ。京都の清水寺をお手本に1631(寛永8)年に創建されたお堂で、幕末の彰義隊の戦いでも焼失を免れた。現存する寛永寺最古の建造物である。 崖造りの舞台を備えた花見の名所であり、2月初午(はつうま/最初の午の日)の秘仏本尊開扉や9月の人形供養など、年中行事も親しまれている。
清水観音堂からは現在は木々に遮られて見えないものの、江戸時代は不忍池が一望できた。
寛永寺の初代住職・天海大僧正は、比叡山の麓にある琵琶湖と、寛永寺のお膝元の不忍池が似た位置関係にあると考えた。そこで琵琶湖の竹生島を模して、人工島を造成した。不忍池の中央にある弁天島である。江戸庶民には人気の散策スポットだった。 現在は外周約2キロメートルの池沿いに、さらに遊歩道が整備され、弁天島に立つ「弁天堂」の参道にはたこ焼き屋などの露天商がよく出店し、下町らしい雰囲気を醸し出している。
清水観音堂から徒歩4分の場所には、上野大佛(仏)がある。顔だけ現存している釈迦如来として有名だ。 江戸時代前期に建立されたのち何度か焼失しては再建され、信仰を集めたが、関東大震災で頭部が落下するとその後は復旧されなかった。第二次世界大戦が始まり、胴体が軍部の金属供出指示によって持ち去られてしまったからだ。 本来は高さ約6メートルを誇っていたという。台東区立下町風俗資料館が往年の姿の写真を絵葉書にプリントし、販売している(※1)。 (※1) 資料館は現在休館中。2025年3月リニューアルオープン予定
最後に紹介したいのが古墳だ。なんと上野公園に前方後円墳がある。駅公園改札口から徒歩2分、東京文化会館の脇にある摺鉢山(すりばちやま)古墳だ。 本格的な発掘調査はされていないため被葬者などは一切不明だが、約1500年前の造営と推定でき、現存長70メートル、後円部43メートル、前方部最大23メートル、後円部は道路より約5メートル高い。過去の記録には弥生式土器や埴輪の破片が採集されたとの報告もあり、甘粕健(考古学者)も埴輪片を採集している(『都心部の遺跡』/東京都教育委員会)。 後円部に設置された階段で古墳の頂部に上ると、木々に囲まれたベンチのある小さな公園のようになっている。都会のど真ん中で、古代の権力者の墓の上でくつろぐ貴重な体験をできる場所だ。秋が深まると、落ち葉のじゅうたんで美しく彩られて、一層、風情が増す。 「上野の山」はそもそも寛永寺の敷地であり、寛永寺は比叡山延暦寺をモデルとしている。比叡山は開山が延暦年間(782~806)ゆえに延暦寺と名付けられ、これにならい、寛永年間(1624~44)に創建されたから東叡山(東の比叡山)寛永寺なのである。 延暦寺は京都の北東にあり、寛永寺もまた江戸城の北東に位置する。北東は鬼門(忌むべき方角)で、両者はともに鬼門封じの役割を担っている。上野の山が首都を災いから守ってくれることを願いたい。