【ルポ】公園遊びは危険、こいのぼりの音が騒音被害?子どもの運動能力の成長阻害「社会的風潮の実態」
【前編:子どもの運動能力「劇的低下」衝撃ルポ】【中編:子どもの身体能力低下「幼児にハイハイさせない親たち」】では、ジャンプやスキップのできない子どもの身体能力の実態を紹介してきた。それとは別に、子どもの成長を阻害する恐れがあるのが遊びを禁じる社会的風潮だ。200人以上の教育関係者にインタビューをした『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(石井光太、新潮社)から引用する形で、大人の事情から問題を考えたい。 【衝撃画像】「そ、そこイヤ!」セックス、薬物…毒親に苦しめられる少女たち「生々しい実態」写真 近年、公園で子どもたちが遊ぶ光景を見る機会がめっきり減った。親が多忙になって連れて行けなくなっただけでなく、公園自体が「ボール遊び禁止」「騒ぐの禁止」を掲げることが増えたことも大きいという。たとえ、そうした禁止事項がなくても、子どもを自由に遊ばせると、公園にいるお年寄りから「危険だ」「ちゃんと監督しろ」というプレッシャーがかかるそうだ。 取材した園長は言う。 「少子高齢化の中で、社会全体が子どもファーストではなく、〝大人ファースト〟になっているのです。電車の中、スーパーの中、どこでも親が子どもに対して『静かにしなさい!』と叱っている光景を目にしますよね。あるいはスマホを与えて無理やり静かにさせている親もいる。なぜ、そうしているのかといえば、そうしなければ親が『親の責任を果たしていない』と批判されるからなんです。たとえ親が子どもを自由に遊ばせたくても、社会の空気がそれを許さないのです」 公園で遊べなければ、自宅の前やマンションの敷地内で遊ぶことになるが、最近はそれすら許されない。園長の話では、こどもの日に、マンションのベランダにこいのぼりを飾ることさえ禁じるところも出てきているらしい。こいのぼりがバタバタとはためく音が、他の住民には「騒音被害」になるそうだ。 ◆コロナ禍で希薄になった親同士のつながり では、親は子どもたちをどうしているのか。園長はつづける。 「外で遊ばせることができなければ、親は子どもを園からすぐに家に連れ帰ることしかできません。その家でも満足に遊ばせることができないので、スマホを渡すか、ゲームをさせるかしかしなくなる。そうなれば、運動能力が育たないのは当たり前でしょう」 このような傾向は、コロナ禍を経てより顕著になっているそうだ。コロナ禍の3年間によって、親同士のつながりはすっかり希薄になり、子どもを外で自由にさせることさえタブー視されるようになった。そのため、子どもを遊ばせたいと思えば、遊びを教えてくれる習い事教室へ連れて行くしかないと嘆く親まで出てくる状況になっているという。 それはそれで時代の流れという意見もあるかもしれないが、そうした習い事に毎月数千円から数万円をかけられる若い親は決して多くはないだろう。このような社会全体の空気が、子どもたちの身体の発育を妨げる大きな要因になっているらしい。 家庭や社会で子どもの運動能力をつけるのが難しいとなれば、保育園や幼稚園にそれを託すしかない。親が働いている間、園が子どもたちに自由な遊びや運動の機会を提供できれば、それなりの効果は期待できる。 しかし、それを妨げる原因が、園の側、保育士の側にも生まれているという。別の園の園長は話す。 「園の側の問題としては、特に都心ではビルのテナントに無理やり保育園を入れているところがあるので、園庭を持っていないのです。そのため、園内に体を動かせるスペースがない。公園へ連れて行くという手もありますが、その公園すら遊戯を禁止されていることもあるので遊び場には困っています。 また、今の親は園に遊びより、英会話やプログラミング、それに小学校の予習を教えることを望みます。少子化なので、そうした親の要望に応えなければ、子どもが集まりません。なので、園としては運動の重要性はわかっているのに、それをあきらめて座学をさせなければならないという矛盾が生じているのです」 園や地域によって、環境の差はかなりあると思われるが、逆に言えばそれだけ子どもたちの間に運動の機会の不平等が生じているともいえるだろう。 ◆泥を素手で触れない保育士 また、先の園長は若い保育士の問題もあると指摘する。 「若い保育士は20歳そこそこです。デジタルネイティブの世代が生まれ育った環境は、今の園児と大して変わりません。そのため、体を動かす重要性を認識する以前に、自分自身が外遊びをしたことがないという人が少なくないのです」 こういう保育士の中には、次のような人もいるという。 ・保育士が泥遊びをした経験がなく、泥を素手で触ることができない。 ・他人と食事をするのが苦手といって、昼休みに園を出て一人で食事をする。 ・園児たちを寝かしつけする際にずっと自分はスマホを見ている。 ・トイレ掃除や虫とりができない。 保育士自身が若い頃に自由な遊びをしたり、大勢に囲まれて食事をしたことがなかったりすれば、こうなるのも当然だ。特に高校時代、学生時代にコロナ禍で人と接触する機会が乏しかった世代にはそれが言えるかもしれない。 このような環境の中で育った子どもたちはどうなっていくのか。詳しくは『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』に譲るが、現在の子どもたちが置かれている環境をしっかりと直視しなければならない時期に来ているのは事実だ。 運動能力は、スポーツをするためだけにあるわけではない。それを通して、コミュニケーションを学んだり、自尊心や共感性や向上心を身につけたりして人間として成長していくのだ。運動能力を身につける必要性をより深く考える時期に来ているのかもしれない。 取材・文:石井光太 ’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。
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