「人の運命を見るのは好きじゃないの」 射殺された「天才霊感少女」藤田小女姫の数奇な人生
事件後、忽然と消えた3体の遺骨
「話の経緯は覚えていませんが、急に膝を突き合わせるような深刻な話題になってしまって。実は、吾郎さんは、小女姫さんと名古屋に住む歯科医の間に生まれたお子さんなんです。一時は結婚の話まで出て、お母さんの久枝さんが熱心に準備を進めていたのですが、なぜだか彼が一方的に断ってきたようです。せめて子どもだけでも認知してほしいと願ったようでしたが、それもかなわず、彼女はずっと、だまされたと言って相手を恨んでいたんです。そのことで、内川さんや田中さんは、随分相談に乗ったらしいですね。これは彼女の親しい友人の間では、周知の事実です」 事件当時、成城の自宅には、小女姫の母久枝の遺骨があったはずだった。母と別れるのが辛いという小女姫は、その生前ずっと母の遺骨を埋葬できずに手許に置き続けた。 つまり事件後、3体の遺骨が、忽然と消えてしまったことになる。 それとも、吾郎の実父であるという男の手により、ふつうの人藤田東亞子として遺骨はどこかにひっそり葬られているのだろうか。 そういえば12歳の少女は、こんなことを言っていた。 「私は人の運命などを見るのあまり好きじゃないの、でも人がどんどん来ちゃうの」(産経新聞) 彼女はその死によって、やっと予言者小女姫を、辞めることができたのかもしれなかった。運命的な新聞記事から44年、メディアの寵児ともいわれた少女は、まるで劇画のような人生の痕跡をどこにも残さずに、ふらりと天にのぼってしまった。 前編【首相も財界トップも手玉に取った「天才霊感少女」 藤田小女姫殺害犯がハワイの刑務所で殺されていた】では、岸信介元首相や松下幸之助、小佐野賢治といった大物たちを子どものように扱うなど、天才霊感少女としての藤田小女姫の絶頂期のすごさをレポートしている。 駒村吉重(こまむら・きちえ) 1968年長野県生まれ。地方新聞記者、建設現場作業員などいくつかの職を経て、1997年から1年半モンゴルに滞在。帰国後から取材・執筆活動に入る。月刊誌「新潮45」に作品を寄稿。2003年『ダッカに帰る日』(集英社)で第1回開高健ノンフィクション賞優秀賞を受賞。 デイリー新潮編集部
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