「人の運命を見るのは好きじゃないの」 射殺された「天才霊感少女」藤田小女姫の数奇な人生
14日、ハワイの刑務所で殺害された福迫雷太受刑者。1994年に起きた占い師、藤田小女姫(こととめ)さん母子殺害事件の実行犯として終身刑を言い渡され、服役中の身だった。刑務所で誰が何のために彼を殺害したのかはまだ分かっていない。謎多き人生を送った藤田さんを巡っては死後も多くの謎が残った。遺骨や墓がどこにあるのか、近しい人すら知らないというのだ。その死から30年がたち、さらに新たな謎が生まれたということだろうか。 【秘蔵写真】まるで娘のように寄り添って…松下幸之助氏との貴重なツーショット ハワイから来た狐が耳元で「コトドヒメ」とささやいた――。その夜を境に予知能力に目覚めたという藤田小女姫さんは、政財界の大物たちまでもが頼るほどの人気占い師として名をはせた。母子家庭で育ち、相談業務を仕切っていたのは母。ところが名目上のオーナーを務めたサウナの火災死亡事故によって、その能力にはケチがつけられ、支持者は手のひらを返した。一線を退いた彼女は、その後、養子の吾郎さんとともに、ハワイで他殺体となって発見される。 (前後編記事の前編・「新潮45」2005年4月号特集「昭和史七大『猛女怪女』列伝」掲載記事をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記は執筆当時のものです。文中敬称略) ***
胸を銃弾で撃ち抜かれた遺体
彼女が、逃げるように日本を離れ、母親とハワイに移住したのは、事件から5年後の昭和48年の夏である。この年、彼女は生後間もない吾郎を、養子に迎えている。 出国から9年の歳月を経て帰国した小女姫は、経営コンサルタントとして、本格的に活動を再開している。昭和57年のことだ。彼女と人生を共にしてきた母久枝を病気で亡くした直後の帰国だった。 その後、日本とハワイを行き来していた藤田小女姫は、ハワイのワイキキ海岸近くに所有していたコンドミニアムで、56年の生涯を閉じた。平成6年2月24日(現地時間23日)、建物32階の部屋から突然発生した火災が消し止められたあと、クローゼットの中から、胸を銃弾で撃ち抜かれた彼女の遺体が出てきたのである。 少し遅れて、近くのホテルの駐車場に止めてあった車が火を吹いた。車の助手席からは、21歳になる息子吾郎の遺体が発見された。母同様、胸には弾痕があった。