「怖く見えるけど、めっちゃ優しい」上田桃子が38歳でツアー活動休止…記者が明かす“負けず嫌いな上田”が泣いた日「声をかけづらい選手だったが…」
試合後に用意されたセレモニーとそこに広がる光景に、上田桃子は、ただただ驚くしかなかった。 【貴重写真】「負けん気強そう~」“天才少女”と騒がれた坂田ゴルフ塾時代の12歳上田桃子を見る! 「自分は(昨季限りで引退した、イ・)ボミとかとはキャラも違うので、まさかこれだけたくさんの選手が待ってくれているとか思いもしなくて、正直、本当にびっくりしました。16番、17 番から付いて来てくれる後輩たちもいて、ただただびっくりというのと、嬉しかったのと両方です」 11月3日、上田は自身のインスタグラムで「2024年シーズンをもって、突っ走ってきた足を、一旦止めてみようと思います」と綴り、競技活動を休止すると表明した。最後の試合となった国内女子ツアー『大王製紙エリエールレディス』では、多くの選手たちが特製Tシャツを着用し、キャディやツアー関係者も最後の別れを惜しんでいた。 プロゴルファー生活は節目の20年で、ツアー通算17勝。 「精一杯、上手くなろう、強くなろうと毎日考えていたなと思います。そこくらいしかなかったなと思いますけど、どんな時もゴルフのことを考えて、上手くなりたかったなと……」 誇れることは何か、と問われての答えだった。38歳までひたすら走り続け、ゴルフのことばかり考えてきた人生だったと思う。 プロデビュー当時から勝気な性格なのは有名で、とにかく負けず嫌い。ゴルフをする上でのモチベーションについて聞いた時も、「ゴルフを始めたときは“反骨心”でやっていました」と正直に話していた。 10歳から故・坂田信弘氏が主宰する坂田塾でゴルフを始め、高校卒業後はティーチングプロの江連忠氏の指導を受けた。2005年にプロテストに一発合格。2年後の2007年には、日本開催の米女子ツアー『ミズノクラシック』の優勝を含むシーズン通算5勝で初の賞金女王となった。当時、史上最年少となる21歳156日でのタイトル獲得だった。 当時の女子ツアーには上田のほかにも、ツアー通算50勝の不動裕理をはじめ、横峯さくら、有村智恵、古閑美保、諸見里しのぶ、大山志保といった人気・実力を誇るライバルたちが多かった。現在の女子ツアーの雰囲気が“和気あいあい”とすれば、“殺伐”という表現が正しいだろうか。 「本当に周囲には“負けない”と意識している選手が多かった(笑)。でも、それがいい相乗効果を生んでいたと思います。それにできないことがあれば、とことん練習する選手が多かったです」
【関連記事】
- 【貴重写真】「負けん気強そう~」“天才少女”と騒がれた坂田ゴルフ塾時代の12歳上田桃子を見る!
- 【あわせて読む】出産、シード落ち、10年優勝なし…38歳横峯さくらが「そろそろ引退したら?」と言われても“プロゴルファー”にこだわる理由
- 【ホントの話】19歳で妊娠が判明「ゴルフよりも、命を優先したかった」4度目で悲願のプロテスト合格…ママさんゴルファー神谷和奏22歳の挑戦
- 【秘蔵写真】渋野日向子のハワイ休日に潜入!パンケーキをモグモグ、青い空&ダイヤモンドヘッド絶景に大興奮(全10枚)
- 【衝撃秘話】元祖・天才少女が苦しんだ誹謗中傷と世間の冷たい視線「まるでサーカス」「ボギーで観客が失笑」ゴルフ界から消えたミッシェル・ウィーの今