【特別対談】日本の国際的影響力は、バブルの頃よりはるかに大きくなっている――「GDP世界2位」でなくとも果たせる「重要な役割」とは/北岡伸一×田中明彦
出すお金の額よりも大事なことがある
田中 以上を踏まえてこれからの日本の役割を考えると、世界は複雑で、一刀両断でこうすればいいということはなかなか言えない。一方で、性急な判断で右往左往せずに、比較的長い視野で付き合える国と一緒にやっていこうという姿勢が成果を出し信頼を勝ち得ていると思うんです。 効果がある活動は日本だけでやるのではなく、世界中の機関に広げていこうという動きもあって、例えば母子手帳というのは、最近行ったアンゴラではJICAが15万冊分の支援をして、残りの数百万冊は他の機関や企業にお金を出してもらう形で普及させている。ODAでは、出すお金の額が大事だと錯覚されますけれど、大事なのはインパクトの大きさなんです。 北岡 教育も重要ですね。お金を集めるだけではなくて、現場でどう使われるかがもっと大事です。いい加減な教師が教科書を棒読みするだけでは子供には伝わらない。学校で言うと、多くの国で給食の支援もしています。アフリカなどには1日3回食べられない子供も大勢いて、給食があれば食べたいから学校に来る、そうすると健康状態も良くなって学力レベルも上がり、社会が安定するという一石三鳥なんです。 おっしゃるように波及する効果というのがあって、かつて東南アジアの支援をした時に、東南アジアはすでに発展を始めているのだからアフリカへの支援をもっと行なうべきという声があった。しかし私たちは東南アジアが発展すれば、彼らが他の国を援助する側に回ることができるだろうと考えたんです。さらに日本が充分な援助をできない事情のある国には、第三国支援という形を採っています。日本とタイが組んで他の国を支援するなどという形で、JICAの規模を超える形の協力が可能になっているケースもあります。
日本の提案で世界が変わっている
田中 国際政治は難しくて、日本が世界中の紛争を解決するなどということはできない。しかし、いろいろな場面で世界の問題に対して提案していくことはできるし、実際この数年間に日本が提案したことによって世界が変わるということが起きています。アメリカがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)から抜けるという時には、日本は残った国で維持しようと粘った結果、現在はイギリスまでがTPP に参加している。今後の世界経済のダイナミズムを考えるとインド・太平洋地域が重要ということでFOIP(自由で開かれたインド太平洋)という外交戦略を提唱すると、EU(欧州連合)までが関わるようになってきた。 先ほどの母子手帳のような事例も含めて、日本の影響力は増大していると思うし、多くの国で日本に対する信頼感が上がっている。この信頼感の向上ほど、日本の国益に直結することはないと私は思っています。 北岡 アメリカの国際政治学者ジョセフ・ナイが、軍事力や経済力のように相手を強制する「ハード・パワー」に対して、良い理念や文化で相手を魅了する「ソフト・パワー」の重要性を言っています。学校のクラスにたとえると、喧嘩の強い子や金持ちの子が影響力を持つだけではなく、いろいろな提案をしてまとめあげる力のある子も影響力を持つということなんですね。 もちろん軍事力や経済力にもテコ入れは必要ですが、それは前提として、それ以外でもアイディアを出していこうと。日本は先進国でありながら途上国の経験があり、かつアジアに位置しているわけで、これは絶好の条件だと思うんです。岸信介は日本が国連に加盟した翌年の1957年に、日本外交の三原則ということを言った。それは国連中心、自由主義諸国との協調、そしてアジアの一員としての外交です。しかし日本はその後、アメリカ中心の一原則になってしまった。アメリカのような超大国と向き合うと、相手の言うことにあまり逆らえないんですよ。 私は日本には複数の原則があるべきだと思います。それは日米に加えて日欧、アジア、アフリカ、そしてユニバーサルな国連です。インドとの関係なども、日本が2000年頃から深めてきた経緯がなかったら、FOIPもQuad(日米豪印戦略対話)も実現しなかったと思います。 国連でも大事なのは発言力なんです。ただ、日本にはお友達がいない。小さな国でもグループを作って発言すると一応聞いてくれるということがありますから、日本とドイツでもいいし、韓国でもASEAN(東南アジア諸国連合)でもいいから組んで提案すれば、世界は耳を傾けてくれますよ。我々は過去に行なってきたことにもう少し自信をもって取り組んでいくべきだと思います。 ※この対談は、『覇権なき時代の世界地図』(北岡伸一著、新潮選書)刊行を機に行われたものです。 ◎北岡伸一(きたおか・しんいち) 東京大学名誉教授。1948年、奈良県生まれ。東京大学法学部、同大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。立教大学教授、東京大学教授、国連代表部次席代表、国際大学学長等を経て、2015年より国際協力機構(JICA)理事長、2022年4月よりJICA特別顧問。2011年紫綬褒章。著書に『清沢洌―日米関係への洞察』(サントリー学芸賞受賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞受賞)、『自民党―政権党の38年』(吉野作造賞受賞)、『独立自尊―福沢諭吉の挑戦』、『国連の政治力学―日本はどこにいるのか』、『外交的思考』、『世界地図を読み直す』、『明治維新の意味』など。 ◎田中明彦(たなか・あきひこ) 1954年、埼玉県生まれ。東京大学教養学部卒業。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了(Ph.D. 政治学)。東京大学東洋文化研究所教授、東京大学副学長、国際協力機構(JICA)理事長、政策研究大学院大学学長、三極委員会アジア太平洋地域議長などを経て、2022年4月より再び国際協力機構(JICA)理事長に就任。著書に『新しい「中世」―21世紀の世界システム』(サントリー学芸賞受賞)、『ワード・ポリティクス―グローバリゼーションの中の日本外交』(読売・吉野作造賞)、『アジアのなかの日本』、『ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理』など。
北岡伸一,田中明彦