【特別対談】日本の国際的影響力は、バブルの頃よりはるかに大きくなっている――「GDP世界2位」でなくとも果たせる「重要な役割」とは/北岡伸一×田中明彦
国際社会の激しい変動を写し取った『覇権なき時代の世界地図』
田中 2022年に特別顧問に就かれて以降も、北岡さんにはJICAの事業を精力的に指導していただいています。特に日本の近代化の経験や戦後復興、ODA政策について途上国に学んでもらうJICA開発大学院連携やJICAチェア(JICA日本研究講座設立支援事業)といった事業では、重要な国へ赴いて、日本についての講義などを行なっていただいている。 北岡さんは理事長時代の経験を中心に『世界地図を読み直す――協力と均衡の地政学』(2019年)を書かれ、今回はその続篇と言うべき『覇権なき時代の世界地図』を刊行されました。概して言うと、日本の国際政治についての視野が日米関係や日中関係にばかり集中していて、それ以外の国々については専門家でさえ充分な理解が進んでいないという傾向があります。この2冊は、一般の読者が今の世界情勢のどういう点を見るべきかという時に、訪れた途上国の現状だけでなく歴史的な背景も含めて視野を広げてくれるという意味で大変重要な貢献をされている本だと思います。 北岡 今回の『覇権なき時代の世界地図』の特徴的な背景は、直近の国際社会の変動がとりわけ激しいということです。20年に新型コロナによるパンデミックが始まって、豊かで技術力があるはずの先進国が打撃を受け、途上国に対する充分な支援ができなかった。21年には我々が積極的に支援してきたミャンマーにクーデターが起き、アフガニスタンでは9・11以降にアメリカが関与し国際社会が支援してきた政権が潰れた。22年には、それまでにも前兆のあったウクライナでついに戦争が起こってしまった。これはつまり、グローバリゼーションやアメリカの一極支配に対する反動が起こってG7の力が充分ではなくなってきたということで、これら縦軸で起きた変動の筋を通すのに苦労しました。
「援助・支援」ではなく「協力」
田中 21世紀に入ってグローバリゼーションが進んで、国際社会の中でも格差や分断の問題が出てきた。ロシアの例でも、2008年にジョージアへの侵攻があり14年にはクリミア併合がありと、国際社会は具合の悪いことが起こりつつあると思いながらも、充分な対応ができないままウクライナ侵攻に至った。 その中で日本の立ち位置を考えると、世界第2の経済大国ではなくなって国際的な影響力も低下していると見られることが多いと思いますが、世界情勢が大変難しいことを前提とした上であえて言えば、私は日本の影響力はかつてより大きくなっていると思うんです。 日米摩擦の激しい頃やバブルの頃には日本の国際的な影響力が大きかったように思われているけれど、実際には2010年代以降、自民党の長期政権で安倍晋三首相が世界を飛び回り、かなり長い間にJICAのような組織が活動を積み重ねてきたことが日本の影響力の源泉になっているのではないか。 日本が行なってきた開発協力は、「援助(aid)」「支援(assistance)」よりも「協力(cooperation)」という姿勢を重視しています。これは一方的な施しではなく、パートナーの国と一緒になって解決していきましょうということですね。ODAは70年の歴史がありますからうまくいかなかったこともあるけれど、日本は受け入れ国にとって役に立つことを押し付けではなく、パートナーの国のオーナーシップ、つまり自主性を尊重しながら行なってきたというところが、世界の多くの国の信頼感に繋がっている。私はこの頃、グローバルサウスから最も信頼されている国は日本なんじゃないかと思っているくらいです。 北岡 ODAは欧米が先に始めましたが、根っ子にはチャリティ、恵みや施しという思想があると思うんですよ。JICAの姿勢として「人間の安全保障」という考え方がありますが、すべての人間は尊厳をもって生きる権利がある、それを尊重しようということで、施しではないんです。 海外に専門家を派遣する際に相手国から望まれる条件として、専門能力が高いこと、語学能力があることはもちろんですが、もう一つ、人柄が良いというのがあって、これが最も重要だと思うんです。途上国に来て上から目線でモノを言うような人は勘弁してほしい。一緒になって何とかしようという人がいい。結果としてその点が評価されていると思います。 田中 援助・支援ではなく協力だという考え方の背景は、戦後の日本が、国際社会の信頼を勝ち得ないといけない状況で国際協力を始めたからでしょう。日本も戦後すぐは貧しかったし、チャリティではなく日本のためにもなることだから、途上国と一緒にやっていこうという姿勢だったと思います。 北岡 私はもっと古いと思っていて、江戸時代には近江商人の「三方よし」の考え方もあったでしょう。略奪式の資本主義じゃなくてウィン・ウィンでいく。さらに遡ると、稲作農業というのはみんなで一斉に助け合わないとできないわけで、これは日本のルーツに則した考えではないかと。あまりエビデンスはないですけど(笑)。 田中 第二次世界大戦で酷いことをやったという反省が相当にあって、協力に当初関わった人たちには、そんな日本がアジアで上から目線でやる資格があるかという感覚があったと思います。ですから、長い伝統と直前の時代に対する反省の両方ですね。