「微力だけど」原爆被害を伝えたい 高校生平和大使、オスロで活動
「微力だけど無力じゃない」 そんな合言葉で核兵器廃絶を求める署名を毎年国連に届けている「高校生平和大使」4人もノルウェー・オスロを訪問。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授与に合わせ、現地の高校で原爆被害を伝える出前授業などに取り組み、10日の授賞式にも出席した。 長崎県立長崎西高2年の大原悠佳さん(17)▽同県立長崎東高2年の津田凜さん(16)▽広島市立基町高2年の甲斐なつきさん(17)▽九州学院高(熊本)2年の島津陽奈さん(16)――の4人。 大原さんが通った長崎市立城山小学校は爆心地の西約500メートルにあり、児童ら1400人以上が原爆の犠牲になった。父方の祖父と母方の祖母は幼い時に爆心地から南約4キロの同市十人町で被爆し、大原さんは被爆3世にあたる。 高校に入学して間もなく核兵器廃絶を求めて署名を集める活動に参加し、今年は第27代の高校生平和大使(23人)の一人として選ばれた。平和大使の活動は1998年に始まり、夏にスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れ、署名を届ける。大原さんは8月の渡航前、祖父母に初めて被爆時のことを聞いた。 祖父母は当時0歳で直接の記憶はないが、6歳の時に被爆したという曽祖母の妹にも会った。「体験を人に話すのは初めて」といい、「原爆が落とされた後は放射線の影響でいろいろな症状が人々に表れた。消毒液をかけられるなど人として扱われなかった」「着るものも食べるものも住む場所もなくなり、家族を全て失った孤児もいた。子供ながらに『ひどい』と感じた」などと教えてくれた。 長崎原爆に遭った場所が国の援護区域外のため、被爆者と認められない「被爆体験者」を巡る問題についても関心を持ち、被爆者健康手帳の交付を求めている訴訟で原告団長を務める岩永千代子さん(88)にも会った。ジュネーブで各国の若手外交官と意見交換した際には「被爆者と認められず、今も苦しんでいる人がいる」と訴えた。 大原さんは日本被団協へのノーベル平和賞授与に「被爆者が核兵器廃絶を求めて声を上げ続ける姿を間近で見てきたのですごくうれしかった」と語る。「80年前に長崎と広島で何が起こったのか。核兵器が使われれば人々の苦しみは一生続くことを知ってほしい」。そんな思いでオスロでの活動に臨んでいる。【尾形有菜】