丹羽大輝と家長昭博が語る復興支援活動への想いと、お互いのこと「全然変わっていない」「むっつりスケベな感じも昔のまま」
特別対談/丹羽大輝×家長昭博(前編) 現在スペイン4部のアレナス・クルブ・デ・ゲチョでプレーする丹羽大輝が、2011年から続けてきた復興支援活動。今年は例年と少し形を変え、『Niwa Goal Project(NGP)』として、熊本、広島、新潟、そして京都で実施された。 【写真】高校サッカーインターハイ注目選手 その想いに共鳴したのが、川崎フロンターレの家長昭博だ。ガンバ大阪アカデミーの先輩・後輩という間柄ながら、同期のように育ったふたりが家長の地元、京都・長岡京市で久しぶりに再会。イベントに集まった子どもたちとともにボールを蹴った。彼らが活動を通して伝えたかった想いや、38歳になったふたりの"今"について話を聞いた――。 ――久しぶりの再会ですか? 丹羽大輝(以下、丹羽)連絡はしょっちゅう取り合っていたんですけど、こうして膝を突き合わせて話すのは、僕がFC東京時代以来やから、5年ぶりとか? 家長昭博(以下、家長)かな。一緒にボールを蹴ったのは、2013年のガンバ大阪時代以来な気がするけど、ボールを追いかける姿を含め、丹羽ちゃんとボールが一体になった景色が(当時と)あまりに変わっていなくてびっくりした。 丹羽 そっくりそのまま返すよ。ボールの持ち方も、ドリブルの運び方も、相変わらず「うっまいな~」って思いながら見てた。何を勘違いしたのか、スパイクを忘れて体育館シューズを履いていたくせに、まったく問題なかったしね(笑)。長岡京に帰ってきたのは久々? 家長 そうでもないよ。今回の丹羽ちゃんみたいに、昔からの友だちが長岡京でいろんな活動を始めて、いろいろ声をかけてくれるので、ちょくちょく帰ってきてる。でも今日、ボールを蹴った洛西浄化センター球技場は、それこそ小学生の時以来かも。僕が長岡京サッカースポーツ少年団(以下、長岡京SS)に所属していた頃はまだ土のグラウンドしかなかったのに、立派な芝生のグラウンドができていて驚いた。 丹羽 えっ! アキも子どもの頃は今日使ったグラウンドでボール蹴ってたん!? 家長 そう。長岡京SS時代は、いろんな小学校のグラウンドを借りて練習や試合をしていたけど、唯一、小学校以外に使っていたグラウンドが洛西浄化センター球技場だったはず。だから、今日のイベントで長岡京SSの子どもたちが、僕の時代と同じ色のユニフォームを着て、サッカーをしているのを見て不思議な気持ちになった。僕も子どもの頃はこんな感じでボールを蹴っていたんかなって。 ――今回は丹羽選手が2011年以降、オフシーズンを利用して行なっている『Niwa Goal Project(NGP)』を、家長選手の出身地である長岡京市で実施されました。改めてNGPの活動について教えてください。 丹羽 東日本大震災のあった2011年から始めた復興支援活動ですが、当初は、被災地の子どもたちにサッカーボールを寄贈することから始まって、2015年からは、被災した地域の幼稚園や小中学校のグラウンドを芝生化する『丹羽芝プロジェクト(NSP)』として行なっていたんです。ただ、近年は僕がスペインでプレーするようになって、NSPのための視察や準備が難しくなったこともあり、今年からサッカーゴールを全国各地に寄贈するプロジェクトに切り替えました。