「宇宙戦艦ヤマト」庵野監督で復活の報に触れて
日本の怨敵として登場する戦艦大和
大和は「宇宙戦艦ヤマト」以前にもマンガや特撮映像作品に登場している。まず、「ウルトラセブン」(1967~1968年)のアイアンロックス。沈没していた戦艦大和をミミー星人が改造したロボットで、ウルトラセブンと戦う。あるいは小沢さとるの潜水艦マンガ「青の6号」(1967年)に登場する「ヤマト・ワンダー」。世界平和を守る国際機関「青」の敵、秘密結社マックスが沈んでいた戦艦大和を改造して建造した潜水艦だ。さらにはマンガ版「ウルトラマン」(一峰大二、1966~1967年)に登場する怪獣ヤマトン。戦艦大和の残骸から生まれた超巨大磁力怪獣だ。 すべて「日本の敵」なのである。 あるいはここに、「はだしのゲン」の作者・中沢啓治の短編マンガ「超艦不死身」(1968年)を加えてもいいかもしれない。潜水能力すら持ち大和を超える巨大戦艦「不死身」は、瀬戸内海のドックで建造され、ドックに注水することで建造に携わった工員多数を機密保持のために殺害して出撃する。 とするならば、1974年の「宇宙戦艦ヤマト」で、戦艦大和がイスカンダルへ地球を救う放射能除去装置を受け取りに行く宇宙戦艦ヤマトとして復活するのは、「霊鎮め」の一種だったのかもしれない。全く無意味な特攻作戦に駆り出され坊ノ岬沖で3000人と共に沈み、怨霊と化した大和は、全人類の命運を託された「希望の船」宇宙戦艦ヤマトとしてその意味を逆転させたのである。 初代ヤマトは、ストーリーもその線に沿っているといえる。ヤマトは1隻しかない。地球を救うためには、なにがなんでも長大な往復宇宙飛行を成功させなくてはいけない。主題歌に「必ずここへ帰ってくると」とある通りだ。戦って勝つことは手段であって、目的ではないのである。だから、ヤマトは基本的にガミラスとの戦闘を避ける。撃破されればそこで旅が終わってしまうからだ。 それが「愛の戦士たち」でくるっとねじれて再度「特攻」に接続されてしまったのは、皮肉としかいいようがない。ヤマトブームの頂点であった1978年の「愛の戦士たち」の時点でも、かなり多くの人が「愛を振りまわして特攻だなんて」と否定的だったのは、改めて記しておくべきことだろう。 押井守監督の劇場アニメ「うる星やつら オンリー・ユー」は「宇宙戦艦ヤマト 完結編」と同じ1983年春に劇場公開された。 高橋留美子原作の「うる星やつら」は、浮気性な高校生・諸星あたるのところに押しかけ女房としてやってきた宇宙人の鬼娘・ラムが様々な騒動を引き起こすスラップスティックコメディーだ。「オンリー・ユー」では、あたる・ラムの痴話げんかが宇宙戦争にまで拡大する。その中で、「貴様らーっ、愛のために死ねーっ」とか「死ぬ時は一緒だよーっ」といった絶叫調のセリフと共に、西崎ヤマトが持ち上げた「愛と共に特攻で死んで世界を救う」というシチュエーションが徹底的におちょくられている。 ●今度のヤマトには期待してます 色々書いてきたが、私は「宇宙戦艦ヤマト」が嫌いというわけではない。確かに中学生の一時期熱狂したのだから。その意味では庵野版ヤマトには期待している。 ヤマトは何度もアニメや実写映画としてリメイクされている。中でも「宇宙戦艦ヤマト2199」は、これまた熱烈なヤマトファンである出渕裕総監督・シリーズ構成が初代の問題点を徹底考察して、きれいに納得出来る設定をつくり上げたとの評判だ。 私はちょうど母の介護が始まった時期だったので未見なのだが、こうなると今からサブスクを活用して見ておくべきかもしれない。ちなみに、出渕総監督は今度の庵野版ヤマトにもスタッフとして参加するとのこと。なんだ、そのダブル仮面ライダー状態は! ところで――我々は、南からやって来る怨霊の象徴を、もう1つ持っている。言わずと知れたゴジラだ。ゴジラは台風のような自然災害の象徴であり、同時に南方戦線で死んだ兵士の怨霊でもある、と指摘されてきた。だから最初の「ゴジラ」では東京を襲っても皇居は破壊せず、一回りするだけで海に戻るのだ、と。 戦艦大和の怨霊に対する霊鎮めとして宇宙戦艦ヤマトがあるなら、これは庵野版「シン・ヤマト」(仮称)ではゴジラとの共演もありかも、と、私の中のオタク中坊はちょっとわくわくしているのであった。少なくとも、ジジイのなんちゃらにはならないと期待している。
松浦 晋也