「宇宙戦艦ヤマト」庵野監督で復活の報に触れて
物語の大きな山場、ヤマトは七色星団という宙域で、ガミラス軍の知将ドメルが率いるドメル艦隊と戦う。伝家の宝刀たる波動砲を封じられたヤマトは、ドメル艦隊にぎりぎりまで追い詰められる。が、文字通り一発逆転に成功し、ドメル艦隊の4隻の宇宙空母を次々に撃沈して形勢は逆転する。 何回目だったかの再放送を見ていて、気が付いてしまったのだ。「あ、この流れはミッドウェー海戦の勝敗を敵味方ひっくり返しただけだ」と。 ●あそこでもし勝っていれば…… ミッドウェー海戦(1942年6月5日~7日)は、対米戦争の流れを変えた日本の大敗北だった。1941年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃を成功させた日本海軍は、次のステップとしてハワイ諸島西方約1000kmに位置し、米軍の要塞化が進んでいたミッドウェー島を攻略、合わせて米空母群の撃滅を狙った。6月5日、日本側空母4隻(第一機動部隊)から発艦した航空攻撃部隊がミッドウェー島を襲って、戦闘が始まる。 この時、日本側空母では対艦戦闘用の魚雷を装備した第2次攻撃隊が待機していた。が、日本側はミッドウェー島へのさらなる攻撃が必要として、魚雷を降ろして陸上攻撃用の爆弾に換装しようとした。 そのタイミングで日米の空母部隊が相互にどこにいるかを知った。日本側は装備をまた魚雷に付け替えようとしたが、作業の最中にミッドウェー島を攻撃した部隊の帰還が始まり、空母の甲板上は混乱した。 その時、米側航空部隊が日本側空母の上空に到達し、攻撃を開始した。混乱した甲板上には爆弾や魚雷が乗っている。米軍機の攻撃で爆弾や魚雷が誘爆し、日本海軍は、「加賀」「赤城」「蒼龍」「飛龍」の4隻の空母を一度に沈められるという大被害を受けた。空母と共に多数の航空機、熟練のパイロットを失った。さらには飛龍に座乗していた第二航空戦隊司令官・山口多聞少将を筆頭に練達の司令官・指揮官も戦死。大損害を受けた日本の艦隊は撤退した。ミッドウェーの壊滅的な敗北以降、日本は米国に押されて敗戦へと滑り落ちていくことになる。 ヤマトにおけるドメル艦隊との七色星団の決戦は、もちろん歴史上の事実であるミッドウェーとは様々な点が異なる。だが「空母4隻で航空戦を挑み、返り討ちにあって全滅」という構図は、ミッドウェー海戦で日本の第一機動部隊が壊滅したことをどうしても想起させる。 夢中で見ていたドメル艦隊対ヤマトの決戦は、基本的にミッドウェー海戦の敵味方をひっくり返したもの――このことに気が付いて、中学生の自分はずいぶんとがっかりしたのだった。現実の日本が食らった屈辱的といってもよい大敗北を、物語の中で敵味方を入れ替えて再現というのは、それは卑怯(ひきょう)というか卑屈というか自己憐憫(れんぴん)や自己満足が過ぎるというか、あまりにカッコ悪いではないかと思ったのである。 ミッドウェー海戦は日本側にすれば「これさえなければ、いや、ここで勝っていたら」という戦いで(実際にはここで勝っても最後は同じだったと思うが……)、後に1990年代に入ってから、「大日本帝国がすごい新兵器で対米戦大勝利」みたいな架空戦記小説の大ブームの中でもこのネタはいろいろコスられた。友人のSF作家の笹本祐一さんはそんな一群の架空戦記小説を「ジジイの■●ニー」と斬って捨てた。中学生の私は、七色星団決戦に感じた違和感をうまく言語化出来なかったが、笹本さんの言葉を聞いて、「そうか、そういうことか。そう言えばよかったのか」と感じた。 そう思ってから「宇宙戦艦ヤマト」を見返すと、ほれた弱みで気づかなかった違和感がどんどん出てくる。女性搭乗者が森雪1人だけというのはどういうことだろうか。物語上描かないだけで実際には搭乗している設定なのかもだが、物語後半で反乱を起こした藪機関士が子孫繁栄とばかりに雪を誘拐しているので、本当に1人なのかもしれない。閉鎖された環境の1年に及ぶ宇宙航海において本気で男女関係を描き始めたら、あっさり子ども向けアニメの範疇(はんちゅう)を逸脱するから手加減しているのだろうが、それにしても不自然だ。 そして最終回の「古代君が死んじゃう!」からの雪の死と復活。勢いで見せられてしまうが、はっきり「クサい」。お涙頂戴臭がぷんぷんする。同じ回で、己の為(な)すべき仕事を成し遂げた上での沖田艦長の死という「本物の死」が描かれるだけに、安っぽさが際立つ。