建築家たちは宗教の葛藤を乗り越え、近代建築の名作を生んだ
国内には著名な建築家が手がけた教会建築物が存在します。それぞれの建築家は建物を建てるときにどのような思いをこめたのか。そして完成までにどんな葛藤のドラマがあったのか。 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、歴史を紐解きます。 ----------
目白と言えば、かの田中角栄の邸宅があったところ。一部が税金として物納され、今は公園となって跡形もない。 近くに椿山荘がある。結婚式などでよく使われるホテルであるが、元は山県有朋の邸宅で、その見事な庭園が残されているのが自慢である。 山県は長州の下級武士(足軽以下)から総理大臣となり、明治陸軍の総帥でもあった。つまり両者とも、明治維新と敗戦という激動期に、太閤のように上り詰めた人物だが、その邸宅は異なる運命をたどったのだ。 明治と昭和、時代の相違であろうか。 その椿山荘の前に立って反対側を向くと、ダイナミックな曲線を描く金属屋根が、大きく空を切り取って、銀色に輝いている。 大屋根は真上から十字をなして、下から見上げてもその形が認識できる。明らかに象徴的な、キリスト教の建築であることを感じさせる。 東京カテドラル・マリア大聖堂である。
代々木に続いて、丹下健三の作品を取り上げるのは、この二つが同時期に竣工し、一つのセットのように感じられるからだ。代々木がテンション構造なら、こちらはシェル構造。直線が連続して曲面を形成するHPシェルという技術で、代々木と同様、坪井善勝が構造設計を担当している。 内に入って見ると、打放しコンクリートのシェルがそのまま天井として、大きく重く垂れ下がるようなカーブを描いて迫ってくる。構造がそのまま内部を表現するという点では、丹下作品の中でも最右翼である。大きな打放しコンクリート面は黒々として、信者たちには評判が悪かったようだが、僕はこの巨大な洞窟のような雰囲気が好きだ。厳しく弾圧された歴史をもつキリスト教の聖堂には、バロック風のピカピカの祭壇よりもこちらの方がふさわしいのではないかと思う。 カテドラルとは司教座のある聖堂を意味するが、いわゆる大聖堂は、歴史をつうじて西洋建築の代表選手であった。ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと展開する西欧の様式史は、そのままローマン・カトリックの大聖堂の歴史であり、それがそのまま美術史でもある。 そしてモダン・アーキテクチャー(近代建築)の時代とは、建築が教会を離れていく時代を意味するのだ。 ワルター・グロピウスや、ル・コルビュジエや、ミース・ファン・デル・ローエは、教会に代わって、工場や、住宅や、オフィスを作品としたのである。建築は、過去の様式や装飾によってではなく、機能にもとづいてつくられるようになる。その歩みは、科学、技術、産業、資本の時代となって、人類の世界観が宗教から離れていくことと軌を一にしていた。